台湾語の影響でない台湾華語 3大代表選手 「和(hàn)」、「我打電話給你」、「我小声的回答」 | 台湾華語と台湾語、 ときどき台湾ひとり旅

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日本で普通話を習った方は、どうしてもやはり台湾華語を見たり聞いたりすると「間違いじゃないの?」と思ってしまいがち(逆も然り)。でもその由来がわかると、両者の差異は決して「間違い」とか「正しい」とかいった評価を下すべきものではないということがよくわかる。

台湾華語の特徴には、前回のべたような台湾語の影響が大きいということと、実はもう一つ重要なことがある。それは、大陸に比べて台湾の中国語には古い語彙や表現が比較的残されているということである。語彙だけではなく漢字の読み方(「読音」)、さらに、文法に関しても同じことが言える。

その原因には次のようなことが考えられる。
1、多くの言語に共通して、話者の集団移住先・言語の移植先の方がオリジナルの地域よりも古い語彙が残る傾向にある。そういった意味で、台湾は
中国語話者の集団移住先であるし、そういう現象が起きてもおかしくない。
2、台湾に遷移してきた国民党という統治政権がもともと言語文化的に保守的な傾向をもっていたということもある。
3、台湾が中国大陸でおきた文化大革命のような、「古きものは破壊せよ」の嵐を経験していない・・・。

で、古いことばや読み方そして文法の残る台湾華語の代表選手として、次の3つを取り上げてみよう(ほかにもあるけどね)。

1)接続詞「和」の読み方

 漢字の読み方で大陸の方とは規範自体が違っているものも多いが、軒並み台湾の方が古い読み方を留めている↓ 



。例えば「~と」を表す接続詞“和”、普通話では「hé」

と発音するが台湾では「hàn

」である。これは「間違い」でもなんでもなく、学校教育現場でずっとそのように教えられてきている台湾における「規範」なのである。




2)“打電話給
你”
 文法面でも台湾の中国語には初期現代漢語の特徴が残っていたりする。「初期現代華語」というのは、基本的に現代漢語(今使われているような中国語)が作られたホントの初期のものを言う(一般的には五四運動(1919年)前後から1930年代頃までの中国語のことを指す)。この、文言と白話の最後のせめぎあい時期は、ある意味チャレンジの時代でもあり、文法のルールに対してもかなり自由度の高い時期であった。

台湾の中国語にはこの「自由な」文法のルールが残されている。まず、量詞。初期現代漢語では“個”が多用されたが、台湾華語にもその名残がある。例えば「私は5人家族です」で使われる量詞。普通話の教科書的には“我家有五人”となるが、台湾では“我家有五人。”である。これもスラングでも「間違い」でもなんでもなく、学校教育や外国人への華語教育の現場で、規範として普通に教育されている表現である。

そして“我打電話給你。”の形。台湾の方や台湾で中国語を勉強した方にすれば「え?なんかおかしい?」というくらいのフツーのノーマルなあたりまえの言い方である。が、普通話の教科書的には×。介詞(前置詞)フレーズは基本的に述語(動詞や形容詞)の前に置くというルールに反しているからである。(もちろんそのルールにも例外はあって、「その行為をした結果今そこにある」ことを表すような場合には介詞(前置詞)フレーズを補語的に使うことができる。我把錢包忘在桌子上。みたいに。でもそのときは必ず動詞に介詞(前置詞)が直接くっつく。)

ところが中国でも1920年代、30年代の文学作品には“我打電話給你。” 形式の文章は普通に書かれている。例えば、

 婦人滴下淚水在孩子底髮上
(その婦人は子供の髪の上に涙を落とした。)

など。こういった言い方はヨーロッパ言語の影響を受けた「欧化語法」と言われ、30年代にとても流行った。ところが中国大陸の方ではこの「欧化語法」に対する批判が50年代に起こり、介詞(前置詞)フレーズはちゃんと動詞の前に置きましょう。ということになって今に至る。でも台湾ではそういう動きは起きず「欧化語法」にも寛容なまま来ているので、今もちゃんと残っているというわけである。

そして、この代表的な“我打電話給你。”だけでなく、現代の文学作品にもちゃんと見られる。先日読んだ李昂の『帶貞操帶的魔鬼』の中にある次のようなセリフ。

我再坐一下,又把waiter叫過來,
畫一張床在紙上
(私はしばらく座っていたがまたウェイターを呼んで、紙の上にベッドの絵を描いた。)

ちなみに何度も言うが、“我打電話給你。”は、台湾では「間違い」では決してない。学校の「国語」教科書に書かれている規範的表現である。

3)“她小聲回答”
 日本の教育機関で中国語を学んだ方は、え?“她小聲回答” の打ち間違いじゃないの!? だって、状語(連用修飾語)を作る助詞は“地”でしょう?と思われるかもしれない。が、この構造助詞(“的”“得”“地”)にも実は台湾独特の使い方があるのである。

台湾では、基本的に“的”、“得”、“地”の使い分けルールが緩やか。特に“的”と“地”は区別しないことが多い。というか、教育部がはっきり“的”と“地”は区別しなくていい」という御触れを出したこともあるから、区別しないのが「規範」と言ってもいい。ので、小学校の『国語』の教科書では区別していない。でも、なぜか中学の教科書になると区別するので、したいならしてもいい。というくらいか。

これも上記の「初期現代漢語」の名残の方だろう。“的”、“得”、“地”を区別し始めた歴史はまだ新しいからである。ちょっと古い文学作品などを読むと中国大陸のものであっても区別されていない。

ちなみに定語(連体修飾語)を作る構造助詞は、1920年代~30年代の初期現代漢語では“的”と“底”が区別して使われていた。“底”は所有や“領属”(日本語でうまく言えない)を表すときの「~の」。つまり「私の本」や「私の頭」というときの「の」である。現在は“我的書”、“我的頭”と書くが、以前は“我底書”、”我底頭”と書いた。それ以外、例えば「彼が言った話」、「美味しい料理」みたいなときは、“他說的那句話”、“好吃的菜”で今と一緒。

(でも台湾でも”的”、“得”、“地”は区別してほしいなあ、とは思う。長い文章だったりするとけっこう混乱するから。)