つい最近でも、
「電通」の女性社員が過労で自殺してしまった問題で、「電通」の会社ぐるみの社員に過労を強要する体質が大いに問題になりました。
もっと言えば、強要というより、むしろ推奨していたわけです。
世間の常識とは大いにかけ離れているにもかかわらず、電通社内では、過労が常識だったんですね。
つまり、社内ではパワハラがパワハラではなくなっていたということです。
過労を強要された社員が、
「これはパワハラだ」
と、感じていても、
「できないやつはすぐにそう言って逃げる。これをパワハラだと感じるお前のメンタルに問題がある」
「それくらいでパワハラなんて言ってたらやっていけないぞ」
本気でそう言うでしょう。
なぜなら、パワハラをやっている上司も、そのまた上司から同じことをやられてきたから。
で、それに耐えられてきてしまったから。
だから、そのパワハラが結果、「正しい」になってしまっているから。
つまり、会社の体質がパワハラを認めているようなものなんです。
「これはパワハラだ」
と、やられている側が感じても、
「そう感じるお前に問題がある」
誰からもそう言われてしまったら、その社員は今度は、
「自分に能力がないからダメなんだ」
そういう思考に変わっていきます。
つまり、会社の非常識な環境がおかしいのではなくて、変なのは自分の方であると。
こうなると、パワハラの被害者が、「自分は社会不適合者だ」という意識に変わるのは時間の問題です。
結果、誰にも相談できなくなってしまうのです。
これが、パワハラの本当に恐ろしいところだと思います。
こうなると、もうパワハラをやった側とやられた側の意思の疎通なんて、同じ日本語というだけで、全く通じてなんかいません。
例えばサラリーマン時代のわたしの話。
何度も何度も同じ話を書いていますが、わたしが明らかに、
「これはパワハラだ」
と、感じたにもかかわらず、社内では「常識だ」とされていたことを書きます。
年に一度「自己啓発セミナー」が開催されていました。
メニューの一つにこういうのがありました。
指名された社員一人を30人くらいの社員が一斉に罵倒するのです。
そして、社員が涙を流して、
「ごめんなさい。もう一度、会社のために一生懸命頑張ります」
と言えば拍手されて褒め称えられる。
泣かなければ延々と罵倒され続けるのです。
これを一人一人交代でやっていきます。
どこかの恐ろしい国が洗脳でやっていることと同じです。
わたしはこのシステムのどこに利点があるのが全く分からず、罵倒を拒み、泣くことを拒絶しました。
すると、最後には、同期から、
「嘘でもいいから頼むからみんなの前で泣いてくれ。でないと、このセミナーが終わらない」
と懇願されました。
それでも、わたしは泣くことを拒んだのです。
そして、最後には講師から、
「君のような反社会的な人間は会社をダメにする。君のような人間は絶対に改心しない。将来はない」
そう言われ、わたしだけ合格点をいただけませんでした。
それ以外にも先輩にいじめられる。
飲み会を断れない。
経費の水増しを手伝わされる。
細かいことは数えきれないほどありました。
社会での非常識である会社の常識を強要される。
わたしにとってはこれらの全てがパワハラでした。
でも、
他の社員にとっては常識だったんですよね。
ここが、本当にパワハラ問題の難しいところです。
入社1年目で、
「悪いのは全部わたしだ。自分の能力が低いのがいけないんだ」
そう思い始め、心が確実に壊れていきました。
「ダメだ。このままこの会社にいたら本当に壊れてしまう。なんとかして逃げよう」
入社1年半後に「辞表」を提出したら、そこから約10日間に渡り、出社すると小さな部屋に閉じ込められ、上司や先輩や支社長から「思いとどまれ」と説得されました。
「フリーのライターになってもお前みたいな会社を続けられないやつが食えるはずがない。この会社だからお前みたいなダメなやつでも食えていけるんだ」
「お前は絶対に成功しない。野垂れ死ぬぞ」
「一度裏切ったやつは何度もでも裏切る。次の仕事もどうせすぐにやめるよ」
「この業界には2度と戻れなくしてやるからな」
このような言葉を連日言われ続けました。
これも、明確に思い出せるわたしが受けたパワハラです。
でも、やっている側から言わせれば、
「わがままで自分のことを全くわかってない社員のためにわざわざ時間まで作って説得してあげてたのに・・・」
という理屈になります。
理解し合えるはずがない。
だからわたしは、
一生、会社員に戻らない。
と、25歳で決意したのです。
あれから25年が経ちますが、基本的には人間の体質は何も変わってません。
変わったのは、パワハラと言う言葉ができたおかげで、制度、仕組み、法律ができ、監視の目が増えただけです。
人間は、何も変わりません。
【突如の人事異動、転勤はなぜパワハラじゃないの?】
全国に支店をもつ大企業において、2年に一度とか、5年に一度の転勤は当たり前です。
その転勤が、自分の上司の一個人だけが業務とは全く関係のないところで自分を嫌い、遠くに飛ばす決断をしたとしたら、これはもちろんパワハラに当たりますが、そのことを飛ばされた社員に証明する術はありません。
当然、飛ばした側は、
「これはパワハラ人事だよ〜」
なんて言うはずがない。
ちょっとは思っていても、
「いや、これは本当に彼のための異動なのだ」
そんな後付けの理由はいくらでも思いつきます。
上司が嫌いな部下を異動で部署から追い出す。これは明らかなパワハラですが、部下がその異動を受け入れたらパワハラにはなりません。
上司が嫌いな部下を異動で部署から追い出そうと画策したが、どこにも部下の引き取り手がなかったので部下は異動しなかった。これは結果的にはパワハラにはなりません。
でも、移動しなかった部下を今まで以上に閑職においたら、これはパワハラになります。が、その閑職を部下が受け入れたらパワハラにならない。
それくらい、パワハラの定義は曖昧なのです。
そこを逆に利用してきたのが、日本の会社システムなんですね。
東日本大震災の時、わたしの兄は家族4人で仙台に住んでいました。
あるメーカーに勤務し、仙台支社長でした。
震災で部下の方が何人かお亡くなりになりました。
兄の自宅は倒壊し、長女は心にものすごく大きな傷を残しました。
その僅か2週間後、兄に福岡へ異動するようにとの辞令が出ます。
奥さんと長女、長男は仙台に残ることを希望します。
兄は一人、福岡へ単身赴任する道を選びました。
わたしと父は大反対をして、家族の元に残るように、そして、
「長女の心のケアのために兄が必要だ」
と、説得しましたが、兄は、
「会社の命令は絶対だから」
と、言いました。
「これは、このタイミングで異動の辞令をだす会社のパワハラだ」
と、わたしと父は感じていました。
「そんな会社は辞めた方がいい」
父もそう言ったそうです。
しかし、兄は、
「パワハラ?何言ってんの?わけわからん」
そんな感じでした。
そして、当時、小学5年生だった長男に、
「これから家の中の男はお前だけだからお母さんとお姉ちゃんをお前が守れよ」
そう言って福岡に行ったそうです。
わたしはそれを聞いて、
「仕事に逃げてんじゃねえよ!」
と、思いました。そして、
「父親が息子にパワハラしてどうすんだよ」
とも。
長男は、それから数年は兄とはギクシャクした時期を過ごしました。
「お父さんは小学生の僕に責任を押し付けた。ひどい」
そう思っていたそうです。
しかし、今、兄と長男はとても仲の良い父子です。結果的には、悪くなかったのかもしれない。
でも、
それがたまたま良い方向に結果が出てしまったから、そうなると、また同じような状況の時に同じことを繰り返してしまう。
それが人間です。
それがパワハラの恐ろしいところなのです。
だから、パワハラは無くならないのです。
日本社会全体がパワハラについて、真剣に議論し、法整備を整えていかなくてはならない段階に来ているのです。
社員の誰かが、社内で受けたパワハラを労働基準監督署に訴えたら、すぐに調査が入り、会社へ指導が入ります。
わたしのようなマスコミが嗅ぎつけたらどうなりますか?
会社の信用問題にも直結します。
パワハラには、大きな問題が孕んでいるのです。
そのことを、経営者や多くの部下を抱える管理職は十二分にわかっています。
それでも、
慣習や長年のしきたりと言った環境の中で無意識のうちにやってしまっているのが、大部分のパワハラなのです。
つづく
