アテナです。

さらにアンドロギュノスの話をしていきます。

みなさんのほとんどが以前から何度も私が話していたことの多くにピンときてないようです。

昨日の続きですが
浮気してるのではないか?という不安な感情を消す必要はありません。
それはそのままでいいのです。
それは愛ゆえの不安ですから。

しかし、一方で
「同じ魂だから自分が浮気をしなければ彼も浮気をしない」と理屈、構造を押さえておく必要があります。

アンドロギュノスの女性は
感情で突っ走ることが多いのですが
それではうまくいくこともうまくいきません。
感情と理屈のちょうど良いバランスがあるところに統合への入り口があるのです。
感情は消さない
でも、突っ走らせない
一方で理屈を知っておく
この絶妙なバランスです。


さて、別の話題です。

私や巫女がこれまた常々話していることです。
みなさんはここのブログに来てアンドロギュノスの情報を摂取しますね。

その時二つの摂取のやり方があることに気づいてましたか?

1)Aの受け取り方
「このブログのアンドロギュノスの情報、私にあってるかな」
「この話、彼との関係に使えそうかな」
「そうそう!同じこと私もあった!」

2)Bの受け取り方
「この言葉、私の中の何かに触れた」
「私の中の男性性(つまり彼)はどう感じるのかな」
「これ、私の中に同じシステムあるかも?」


違いわかりますか?


少し考えてみましょう





ーーーー

ーーーーーーー



ーーーーーーーーーー



考えましたか?


Aの受け取り方は外的、他者的受け取り方です。
私たちのメッセージやブログの記事を情報や他者の意見として受け取っている

Bの受け取り方は内的、自己的受け取り方です。
メッセージや文章の中にあるなにか刺さるもの、琴線に触れるもの
それに敏感であるやり方。
文章やメッセージが自分を映す鏡であるように受け取るとも言えます。
だから、私たちのメッセージを読む=自分との対話になるわけです。


私は「アンドロギュノスの話を情報として受け取らないで」
「自分ごととして受け取って」と言ってきたのは
AではなくBで受け取ってねという意味で、そう言ったのです。
Aの方は、アンドロギュノスの情報を彼との関係でどう活かせるかと「恋愛指南」話でしか見てないんです。
内側に落とし込んでない。
更に、内側に落とし込んでないから内側が空っぽ。故に外側を鎧のように厚くして自分を守り鎧の原料である情報を摂取したくなる。
そして、情報を貪り食い散らかす。

Bの受け取り方ならば私のメッセージを読んだ時
アンドロギュノスの情報だけでは足りないと感じます。
だから、私以外のメッセージも自分ごととして読むようになるでしょう。
私が読めと言わずとも。

更に、私や巫女は
「メッセージを読んで琴線に触れたところを大事にして
それはあなたの魂が反応し
魂があなたに教えてくれたもの」
と言い続けてきました。
つまり、内的なものとして
扱ってくださいということです。
それに気づければ
アンドロギュノスは
人より特別とか
マウントとる道具にはなりませんし
そういうものではないとわかるはずです。



アンドロギュノスとは
知識や情報を得て溜め込んで着飾るプロセスではなく
情報や知識を得て「脱いでいく」美しいプロセスです。

みなさん、情報や知識を得て満足してませんか?
情報を内的に反映させてますか?
私のメッセージを貪ってませんか?

私は常に言ってます

内側に入りなさい
アンドロギュノスは可愛らしい恋物語ではない

この短い二つの文章の奥にこれだけの意味があったのです。