おはようございます


さて、聖書の中に

汝の敵を愛せよ

という言葉があります。

とても素晴らしい言葉ですね。
第一段階として自分と敵対している相手であっても愛を向けるというのは崇高なことです。
これをできている方が地上にどれだけいるのか
と考えるととても少ないことがわかりますね.

しかし、このような見方もできます。
それは
敵を予め設定しているのではないか?

勝手に敵だと決めつけているのではないか?という内面的な問いです。
神は同じように私たちを愛していますし
私たちも神の一部ならば
敵などいないのでは?
分断型から出されているのではないか?と気づく

それが第二段階です。

東洋思想では
敵味方がないという世界観でそれらを超えたものが
空(くう)や道(タオ)があります。


しかし、さらに進むと
敵を愛せよというのは
敵と相手をみなす構造から離れなさい
手放しなさい
心を自由にしなさい
敵を必要とする心を自由にしなさい

という呼びかけだったのだと気が付きます。

つまり、空や道にとても近くなるのです。

とはいえ、いまだに「敵を愛せよ」が通用する場合もあります。
それはそれでよいのです。

たった一言

敵を愛せよ

にこれだけの意味が含まれていることをぜひ知ってください。

神の法は時と場所を超えて結局は同じなのです。