語源の話を書きましたけど、それとは別の話。

今日メンタルクリニックの日でした。
ちょっとね、先生(女医)と話して泣きそうになりました。

人の死って肉体存在がなくなるだけじゃなくて
周りの人の様子や反応見てると全て存在消し去るような、忘れ去るような感じなのよね。

私の中ではそうなってない。
確かに肉体存在としては存在してないけど
存在してたよね?
いるよね?いたよね?
死んだってことはわかってるけど
その辺、自分の中の齟齬と周りとの齟齬が発生してます。
それを先生に話しました。

そしたら、年上が先に死ぬのは悲しいけど、ある程度は仕方ないという気持ちになるけど
自分より若い人がなくなるのはショック。
ましてや子供となると一生引きずる人もいる、多い。
私の中では生きている状態にして、長男の存在を伝えていって
確かに存在したというふうにしていけばいいんじゃないか
それができるのは産んだ母親しかできないから(大意)
と言われて

ほんと泣きそうでした。
言葉に詰まりました。

ま、今のままでヨシ!ってこと。
自分の今の状態を抱き締めてればよいみたい。
自分の状態をポジティブに受け止められて順調に治っていってると褒められたのでよかった。

やはり長男のメッセージ下ろしてよかったんだー
(これは先生には言ってない)

でも、私は天国の長男と話せるから余計に齟齬が生まれやすいのかも。
一長一短ですな。

魂の傷にはなってないと思う。
傷をどう昇華するかというのは知ってるから。
傷をおった時点ではワタワタするけどね。
それは人なら誰でもそうじゃない?
特に自分の子供の死なんてさ。
そうそうあることじゃないもの。

アンドロギュノスの友達がメールで
「やはり光が強いと闇も強いですね」
って言ってくれたのもよかったかも。
息子の死という闇と同等くらいの光があるってことだから。

一生続くかもしれないので
長いお付き合いってことで
長男の死や長男の死にまつわるアレコレと共に生きていく覚悟を決めました。
悲しくても辛くても、ね。