老耄がまたでてきてみた。

共感性ありなしの話で盛り上がっているようだが

ワシはどっちでもよいと思うぞ。

ワシは地上でも
ありのままでよいと話してきた。
共感性がない自分ならそれでよし。
共感性である自分ならそれでよし。


このあるがままはなにもせん
ということではない。
あるがままにしておけば
世の中うまく回るということだ。

我らの声を聞く巫女が銀行員になっても務まらん。
官僚もつとまらん。
9時5時の週休2日の仕事も務まらん。

そういう仕事にむいてるものが自然とそのような仕事に就く。

この巫女は結局は巫女しかできんからの。
巫女を貫くしかない。

特殊な仕事をしてる故
特殊な個性でないとつとまらんわけだ。

どうも日本人は全員同じでないといかんというのがあるようだが
それがありのままなのかの?

ありのままとは
水が上流から下流に流れるがごとく
なんの人意をいれず
自然のままに
ありのままであること。

あるがままでいれば、人は川の流れのように自然と己の発するところに行き着く。

それはみな同じではない。
みな、官僚になれば良いわけでもない
みな、農家になれば良いわけでもない

それぞれがありのままに生き、行き着いたところで
ありのままのでいればいいのだ。

飾らずともよい。
ただありのままにいればよい。

忘れてくれるな。
自然には多くの草木がある。
花も多様にある。
ならば、人も多様である。

草木や花は他の草木や花に寛容であるぞ。文句をいわぬ。

ならば我らもそうありたいとは思わんかの?