若気の至り | Wind & Thunder Boy

若気の至り

1969年~PGC10 いわゆる初代スカイラインGTRが 日本グランプリなどを含む50連勝(初戦はトヨタの反則による棚ボタ勝利のため日産では49連勝としている)の金字塔を打ち立てていた頃、ライバル社たちも指をくわえてこの快挙をみていたわけではありません
レース場以外でも、打倒スカイラインを掲げ各社開発レースが展開されていたのです
そんな中1971年末マツダが送り込んだ刺客サバンナGTが8台のGTRを相手についに日産の50連勝をストップさせることになったレースはマツダファンならずとも伝説となっております

まさにその時のレースで一緒に走ったうちの1台がこのサバンナ2号車、、



青の模型ですが実際にGTRの連勝をストップさせた15号車です


当時は10Aというシングルローターのロータリーエンジンだったと思います
その後ダブルローターの12Aが開発されこのマシンも12Aに変えられたと伺っております


10A当時は240馬力程度だったものが12Aになり260馬力を大きく超え、増えたパワーに対応すべく一回り太いタイヤに、、、それに伴い大型のワークスフェンダーに進化しました その後もマイナーチューンが続けられ私の許に来たときには280馬力を超えるか!というところまで進化していました






な~んだ、、たかだか280馬力か!。。と思うなかれ、、車体重量600kg少々の超軽量ボディ&有効パワー出力バンドが10000回転~12000回転と、超ピーキーなエンジンであったためひとたびパワーバンドに乗ってしまえばも~手のつけられないじゃじゃ馬振りでした
事実R33スカイラインGT-Rのカリカリのチューニングカー(550馬力)というものにもしばらく乗っておりましたがゼロ加速はともかくとして体感加速や実際のサーキットでのラップタイムは比較にならないほどサバンナのほうが早かったです


当時ツーリングカーレースそのもののレギュレーションが大きく変わっており公式レースへの参戦が出来る車両ではありませんでしたがサーキットのスポーツ走行やクラッシックカーレースなどへ参戦しておりました


当時は私も若かった。。。
この車、何とか街中で乗れないものかと・・・・
修理工場を回りエンジンの載せ替えなど様々検討したのですが、足回り、ボディ周りとあまりにも市販車と異なるため結局ナンバーを取得した同一車両のボディを切り取り(既に時効をとっくに過ぎているので言っちゃいますが実際は車体番号周りのパネルと大きくカットされたフェンダー回りのみ移植をしちょっとの間街でこの車を乗り回し(まわすほどではなく数回高速と峠に行ったくらいで、結局はまともに走れるのはサーキットだけということを悟りました)ました




7000回転くらいでクラッチミートをすると、、ぷすん。。。。とエンストしてしまう・・・
ところが8000回点くらいでクラッチをつなぐともう激しくホイルスピンを起こしてしまい前に進まない・・・
そんな車を街中で乗ろうと考えるほうがどうかしています
でも早かった、、、
当時は事故を起こすかも。。。などといったことは微塵も考えずずいぶんとヤンチャしていました
今考えたら何事も起こさず良かったです