ブログネタ:運命は決められたもの? 自分で切り開くもの? 参加中
その年は2年以上が12人しかおらず、新人は多く入ったものの、秋のリーグ戦では攻撃で使えるまでは至らずにシーズン入りしていました。しかも2年のQBが八幡山の鳥神大とのスクリメージで負傷するという苦しい布陣でした。
その試合は例によってM原団地の緑の怪物大グランド、対戦相手は戸塚の聖人でした。史上最強という下馬評の聖人に対して、雉達は1年の急造QBで臨みました。実戦経験がまったくないQBでセンターのスナップがまともに受けられず、パンターも壊れた2年のQBが務めていたため、1stダウンは奪えず、パントも2~30yds先に蹴り出すのが精一杯でした。聖人は4年中心で、ゴリゴリ攻めてきます。私は右のDBでしたが、オープンプレイでプルアウトしたタックルがノーマークで私のところにブロックにくるのですから、止めようがありません。
聖人は得点を重ね、最終Qには1年が攻撃チームで出てくる余裕でした。何本目かわからないTDを奪われた瞬間に、聖人ベンチが沸き立ちました。間もなく試合が終わり、全員がグランドに並んで試合後の挨拶をした時に、理由がわかりました。(当時は試合終了時にフィールドで全員が並んで挨拶していたのです)主審が「102-0で聖人の勝ち」と宣告しました。屈辱的な敗戦でした。
その年はリーグ戦全敗で日程を終了、常に下位低迷とはいえ、ひどいシーズンでした。

話はこれで終わりではありません。「運命は自分達で切り開くもの」を地でいった翌年の聖人大戦へと続くのです。
翌年は私たちが最高学年、前の年に1年から試合経験を積んでいた新2年もしっかりスタメンらしくなり、その年のリーグ戦を迎えました。初戦は綱島の雷大に惜敗、2戦目が因縁の聖人戦でした。当時は駒沢第二グランドは雨天には使用できない状態で、その2戦目は朝から雨でした。この場合、試合開始をずらしてローカルグランドに移動して実施されます。移動先は八幡山の鳥神大グランドでした。皮肉なことに、移動する頃には雨は上がり、ゴールポストのないグランドで試合が始まりました。

昨年の主力の4年が大量に抜けたとはいえ、聖人には有能な選手が多く、案の定最初の攻撃シリーズで私たちの自陣10yd付近まで攻め込まれました。聖人の第4ダウン、これが駒沢第二であれば間違いなくFGで3点を先制されるところです。ところがゴールポストがないため、聖人はギャンブル、なんとかこの攻撃を止めることができました。
ここから雉達は反撃を開始、そのシリーズでTDをあげ、TFPも成功させて8-0と先制したのです。
これでペースが狂ったのか、聖人は攻撃の歯車が噛み合いません。私もSの控えとして、数プレイに参加、エンドゾーン内へのTDパスをカットしたりしました。後半にも雉達は1TD、1TFPを追加、聖人を完封して2年ぶりの勝利を上げました。前の年の屈辱が生んだまさに「自分達で切り開いた運命」の勝利でした。