先日、卒塾生でさらにウィルの講師をしてくれていた2人の結婚式にお招きいただき、列席させて頂いてきました。
ウィル史上初の生徒⇒講師どうしの結婚ということで、かなり我々としても湧きました!
披露宴では初めて祝辞なんかをしちゃいまして、2人のことをペラペラとお話してきました。
気持ち的にはガチガチでしたけどね(涙)
式の終盤、お父様が挨拶をされたのですが、ゆったりとゆとりのある雰囲気で、決して「慣れ」で身に付けたものではない、人柄の出るお話でした。
僕のスピーチの内容も使っていただいて、感激してしまいました。
「こういうことのできる人になりたいな」一つ新たな目標が出来ました。
遡るともう16年前の2人との出会いなわけですが、ウィルという場所を大事だと思い続けてくれている要素、講師として戻ってきたいと思ってくれる要素、それがどんなところにあるのかと考えてみたんです。
それは「ひとりの人間として扱われること」なんじゃないかと思います。
相手は小学生や中学生の子どもなんだけど、子ども扱いをしない。
その生徒に対して、何が期待できるのか、何を成長させてあげれば良いのか、どんな行く末を歩んで欲しいのか、そんなことを自然と考えやっている。
生徒の機嫌をうかがいながら、授業をすることもないし、講師たちから「○○と話したいから呼び出していいか」とかなり強気にアプローチをかけるシーンも沢山あります。
前情報による先入観を持って生徒たちの到達点を作るのではなく、生徒たちが望むものを到達点とします。
先輩から紡がれる「あたり前」のラインが高い分、生徒が「あたり前に」望む要望も高くなる。だからこちらからの要求もある程度のものになります。
小学生・中1・中2、そこで我々が要求してきたものを正しい手段でクリアしてきたのなら、望むものへの挑戦権を与えられることを生徒たちも知っています。
これは、相手を大人扱いしているからできる事で、欠けている考えや、大人になって欲しいことがあれば伝え、変化を待ちます。
だから生徒たちは別に「可愛い」わけではなく、「良い奴ら」「素晴らしい奴ら」「カッコいい奴ら」なのです。
そんな生徒が講師になれば、ただ言われることを聞いて仕事をすれば良いと思っていないので、教室のこと生徒のことについてガンガン意見を出してきます。
塾は商売ではあるんですが、普段生徒と過ごしているときはやっぱり教育の場としての意識が強いわけです。
そんな時に、ただ大事に優しく扱ってあげる事なんて何の意味もなくって、その生徒の少し先の未来に対して期待し知らせてあげる。物事に対しての考え方や臨み方のレパートリーを教えてあげる。足りなきゃ𠮟責や追及だってします。それが本当の「やさしさ」ですから。
システムや商品の様に形のあるものではないので、中々伝えにくい部分はあるんですが、ウィルってそんなところが良いのかなと!
思い出してみると前述の新郎や講師たちもこういうことを言ってくれていました。
おふたりさん、お幸せに~
では~