今日(9月30日)は、角淳一さんが、12年に亘って司会を務められた、毎日放送「ちちんぷいぷい」を、卒業される日でした。

何かお花か贈り物でも、とも考えたのですが、何だか角さんは、そう言う形式ばったことはお嫌いではないかと逡巡し、結局ただご挨拶にだけ伺いました。

さすがに今日の楽屋は、お花がたくさん届いていて、人も大勢いて、少し騒然とした雰囲気でした。

そんな中、楽屋にいつものように現れた角さんは、沢山の人をみて「あかんで、この雰囲気はあかん!(笑)」と照れ臭そうに仰りました。
そして、いつものように、本番の準備を始められました。

僕は、一言ご挨拶をして、その後別件の仕事に出たので、今日のOAはまだ観ていませんが、たぶん角さんは、いつも通りの自然体で、司会進行をされたのではないかと思います。


角さんと出会ったのは、毎日放送のラジオを通じてでした。

「MBSヤングタウン」

笑福亭鶴光師匠と、佐々木美絵さんとの共演で(確かヤンタン木曜日だったかな~?)、毎週欠かさず聞いていました。鶴光師匠のエロ話を、時にやんわりとたしなめつつ、実は自分も乗ってくる(佐々木さんただ苦笑)みたいな乗りが楽しい番組でした。角さんのどこか上品で艶のある関西弁も耳心地が良かった。

また、鶴瓶さんの曜日にも、一時出ておられたのではないかな。
一度、聞いていないときに友達から電話があり、「今ヤンタンで、鶴瓶と角さんが本気で喧嘩してんで!」と情報があり、慌ててラジオを付けると、ほんまに二人が(理由は分かりませんでしたが)大げんかしていて、「大の大人がおもろいなあ~、でもどうなるんやろ?」と、ハラハラしながら聞いた記憶があります。

アナウンサーの枠なんか、軽々と、プイッと飛び出してしまうような面白さが、角さんの魅力でした。

その後、テレビにもドンドン出られて、一時は、毎日放送の番組には必ず角さんが出ているような印象さえありました。

そのなかでも、原田伸郎さん、そしてまだ若手だったトミーズ雅さんと、ほとんど台本なしでただ夜の町を歩き回って、そこで出逢った人たちと話しをする番組、「夜はクネクネ」。これは猛烈に好きな番組でした。ほとんど毎週、見逃さずに見ていました。

何より、伸郎さんと角さんが、本当に仲が良くて、その暖かい雰囲気が楽しかった。また、当時あんな感じのロケ番組は初めてで、台本がない構成で、今日はどんなことが起こるのかと、わくわくしながら見ていました。角さんの「人が好き」な様子が、何より伝わる番組でした。
(当時、番組のあまりの好きさに、高校の同級生と、後輩を連れて、かってに「夜はクネクネ」をまねて、あっちゃこっちゃ夜に歩き回ったことさえありました(≡^∇^≡))

当時、中学から高校に掛けて、角さんは、実は高校の先生や何かより、自分にとってよっぽど身近な存在でした。


その後、大学進学で東京に出て、仕事に就き、角さんの番組を聞いたり見たりすることは余りなくなりましたが、それでもたまにタクシーに乗ったときなどに、ラジオから角さんのいつもの関西弁が聞こえてくると、何だか嬉しくなりました。

そして、弁護士になり、テレビにもちょくちょく出させて貰うようになった頃、毎日放送さんから「ちちんぷいぷい」に出ませんか?とお誘いを受けました。

正直、嬉しさ半分、緊張半分でした。
永年、大好きな存在だった角さんとご一緒するのは、本当に夢のようでしたが、反面(変な話しですが)角さんに嫌われたらどないしょ?との思いがあったからでした。
でも、せっかくのお話し、断るなど余りにももったいない、と、出演させていただくことになり、早3年。角さんとも、いろいろとお話しをさせていただけるようになりました。身近で、角さんの大好きな音楽のお話しや、お笑いのお話し、そして、阪神タイガースのお話しを聞けて、出演しながら、まるで高校時代に戻ったように、楽しい時間を過ごさせてもらえました。

その角さんが、「ちちんぷいぷい」を卒業される。
寂しいことではありますが、12年という節目でひとつの区切りをつけて、また新しいことにチャレンジなさろうとする、その「身軽さ」が、本当に角さんらしいなあとも思います。
また、それに備えて、少しずつ西さんを始めとする後輩を、積極的に前に出されていたここ数年の角さん、これは、なかなかできることではありません。清々しく、潔い、角さんの生き方がよく表れていたと、僭越ながら思います。

角さんへの、僕の思いは、いつか、ご本人にも直接お話ししたいと思っていましたが、照れくさく、結局ブログで書くだけになってしまいました。


角さん、長い間、本当にお疲れ様でした。そして、お世話になりました。
角さんとご一緒させていただいて、本当に嬉しかった。

どうか、また次のステップを、楽しんで下さい!


憧れの人との、初めてのツーショット
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