皆さま、

まだまだ残暑厳しい9月ですが、

お変わりありませんか。


前回のブログから、

一か月経ってしまいました😔




この間、本当に

色んなことがありました。


一番大きな出来事は、

父の手術と入院です。


すぐに大きな病院で手術と

決まったわけではなく、

まずは近所のクリニック、、

そこの紹介で、

近くで一番大きな病院でCT。

その結果を受け、やはり大きな所で

手術を!と紹介状を出されて、、

家から遠い病院でMRIなどを受け、

入院、手術となりました。


連れて行くだけでも

時間がかかりますが、

待ち時間も長い、、

一回の診察を終えて病院を出るまで

なんと5時間くらい😣


そして今回、初めて、

病院の入り口に置いてある

車椅子を使いました。

なんとか歩ける程度の父は、

広い広い院内を自力では

移動できないからです。

最初は車椅子の開き方もわからず💦

警備員の方が教えてくださいました。


何度か診察、検査に通った後、

入院し、翌日手術。


高齢ですが、手術後は、元気で

私には、毎日のように

付き添ってもらって、

ごめんねと言い、

認知症の母には、

ひたすら、

火事になるといけないから、

料理はするな、

戸締りとしないと、、と

麻酔で朦朧としているのに

言ってました。


いきなり母が一人になって、

夜、目覚めた時に父がいないと

混乱して外に出るかも知れないと思い

夕食を持って行ってから、

翌朝まで泊まり、朝ご飯食べさせて

一旦家に帰り、家事、仕事、、

また、実家。

毎日午後からは

父の面会にも連れて行き、

正直、心身ともに限界でした。

というか、現在進行中ですが、、


主人にも当然、

我慢してもらうことばかりで、

毎日お弁当持たせていたのに、

それができない日もあって、、


少し慣れましたが、

一番きついのは、

母にどんなに美味しいと言うものを

食べさせ、その時は、喜んでも、

数分経つと食べたことを忘れている。

そして、

1時間近く運転して

汗だくで遠くの病院に連れて行き、

お見舞いの許可をとるまでにも、

何枚も書類書いて

膨大な時間を費やした挙句、

感染対策で15分以内で

帰らなくてはならず、

バタバタと面会を終えて、

疲れ切ってヨロヨロと車に乗ったら

「どこの病院にいるのかな、、

家の近くなら、

毎日行ってあげられるのに、、

ずっと一人ぼっちで

家族も来てくれないなんて

本当に可哀想、、」と

毎回言われることです。


病気だから仕方ない!と

思っているけれど、

毎日フルに動いて、

仕事もして、、

倒れる寸前くらいの状態で

頑張っているのに、、

全て無かったことになる、、

それは、最初、衝撃で、

心が折れました。


つい、声を荒らげて

「今、たった今、

お見舞いに行ってきたでしょ、

もう忘れたの?」と

責めるようなことを

言ってしまったことも。


何日か経った時、

気持ちを切り替えよう!と決め、

責めたり怒って言うのではなく、

「もう歳だから、

なんでも忘れるわよね、、、

たった今、会ってきたし、毎日

私がここまで連れてきてます!」と

元気に言うようにしたら、

母も10歳くらい歳をサバ読んで

というか、本人は、

本当にそう思ってるらしく、

「もう◯歳だからねー、

どんどん忘れるのよーー、

ごめんね、あなたにばかり

迷惑かけて、、」と笑うように。


良い機会だなと思い、

理解はしないし、

すぐ忘れてしまうけれど、

運転しながら明るく、

「ほとんどのことを忘れてるよー

紙に書いてリビングや

キッチンに貼ってるけど、

読んだら忘れてるから、

少しでも困ったら、

電話して確認してね」と

繰り返し言うようにしました。


毎日、たくさん話しかけて、

忘れるけれど車で遠くまで行き

たくさんの人の中に入ることで、

脳に刺激を与えているのか、、

母は、奇跡的に?

病院に父が入院していることだけは

理解して覚えています。


問題は父で、、

最初の診察で、

一週間くらいは入院しないとね!と

先生に言われ、

ずっと健康で、病院嫌い。

入院もしたことのなかった父は、

かなり抵抗して、薬や注射で!と

主張しましたが、

今回は手術をしないと無理だと言われ

渋々、嫌々入院しました。

術後1週間までは良かったのですが、

その後、高熱を出したり

体調が悪くなって

退院が延びてしまいました。

認知でもないし細かいことも

私より覚えている位の父ですが、

やはり高齢なので思い込みが激しく

毎日毎日、もう家に帰ると

言うようになり、、

自分の体調が戻らないのだから、

ここでしっかり治さないと

帰れないよと言うと、

あんなに穏やかで優しかった父が

こんなところに来るんじゃなかった!

騙された。もう帰る!と、

騒ぐようになりました。

毎日、看護師さんに謝り、

先生に頭を下げ、、

普段は優しくて

穏やかな方なんですよーと

逆に励まされていましたが、

とうとう、

「脱走レベルの状況です。

精神状態が悪いから、

もう無理矢理止めても、

一人で帰ろうとして転倒、怪我、、と

いうこともありうる、、

明日とりあえず退院させましょう」と

先程電話が。

でも、もしまた熱が出たり、

とてもきつそうになったら

再入院するしかないですよと。


これまで元気だったので

介護申請もしていない、、

入院時に病院がサポートして下さり

申請はしてくださいましたが、

まだまだ許可はおりません。


いきなり、退院してくることになり、

これまでのように二階の寝室には

寝せられないから

一階にベッドを置いたり、

諸々やるべきことが、

また、いっきに、、😰


この一か月、私はいつも、疲れと

色んなことへの小さな怒りや哀しみ、

自分だけが、ひたすら全てを

背負わされている、、という

不公平感、、

弟夫婦へのモヤモヤした思い、、

ずーっと、ブスくれて、

どんよりした酷い顔だと思います。


でも、

レッスンの時だけは、

音楽以外のことは忘れるので、

生徒さん達と歌って、弾いて、笑って

改めて、ありがたいな、、と。


そして、今は、

腹の立つことばかりだけど、

両親が、私に音楽を学ばせてくれ

音大まで出してくれ、

息子たちが小さい間は、

私がレッスンの時、預かってくれ、、

本当にお世話になった、、

両親のおかげで、

今の生活があるのだ!と思うことで

投げ出したくなる気持ちを

なんとか繋いでいます。


親と向き合う日々、、

この一か月は、過酷で、

時々泣きながら

必死にやるべきことを

こなしてきました。


元々貧乏性?で、ただ、辛かった

大変だったというのが嫌なので、

良かったことないかなと考えたら、、

親への感謝を

改めて思い出せたこと、

そして、自分が年老いた時、

息子たちには、

こんな思いはさせない!と

強く思えたことです。


家や少しの蓄えや、、

引き継がせる物を兄弟平等に、、

そして、自分たち夫婦がいつまで、

どんなふうに生きるかわからないけど

迷惑かけないよう、

早めに色々準備をして、

すっきりと老後を迎えたいと

心から思っています。


親のことをあれこれ考えていたら、、

今日は次男の誕生日🎂

もう、23年も経ったのか、、と

生まれてきてくれた日を

懐かしく思い出しました💕




母子手帳に貼っている

生後2か月くらいの頃の写真。

おでこの広い、父親(主人)

そっくりの赤ちゃんでした👶




一歳半くらいになり、、

ますます、おでこが広くて

ピッカピカ🤭

友達みんなが、顔は、

ママに似てるねと言いながら、

おでこと、少し天然の髪を見て、

ミニパパだね!と(笑)




抱いてると寝て、

下ろすと起きて泣く、、

大きくて重たい息子を

いつも一人で抱いて、、

大変だったけど、

23歳も若い当時の私は、

まだ元気に笑っています。




大学生になって、

家族でヨーロッパを旅した時

抱っこして育てた息子は

「おばあさんになったら、おんぶして

ウィーンの街を歩いてあげるよ!」と

シェーンブルの庭で言ってくれました😚


私は、その言葉を忘れません!(笑)



明日は父が退院。


今日は息子の誕生日。


感情が、ぐちゃぐちゃで

やることも山積みで、、


やっぱり、このブログに

戻ってきました。


ただいま、、🍀