真のクリスチャンは24時間365日イエス様と繋がっている | ぶどうの木 Good News

真のクリスチャンは24時間365日イエス様と繋がっている

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みことばをもらったからと、喜んで終わりにしていませんか?日常生活の中で、クリスチャンになってからの人生の中で、いくつのみことばを成し遂げてきたでしょうか?みことばは、成し遂げなければなりません。みことば(神の御心)を成し遂げるために、協力、助け、導いて下さるのが聖霊です。自分勝手に動く中で働くのは悪霊です。聖霊主導で生きていますか?悪霊主導になって喜びなく、不信仰になっていませんか?

先週の集会で姉妹の証を通して、イエス様と繋がるスイッチが常に入っているか問われましたが、今週も、24時間、365日、みことばを成し遂げるためにイエス様と繋がって生きているのか、自分自身を吟味する集会となりました。

 

私たちは牧師を通して、「“イエス様が私の全て”と言えますか?イエス様によってつくり変えられたと言えますか?言える人は手を挙げてください」と問われました。数人が挙手できない様子に、「なぜ挙手できないか分かっていますね?自覚がありますね?何を握っている?つくり変えられないものは何?何が邪魔している?」と牧師は突っ込みました。私たちは、毎週自分の内につくり変えられることを邪魔するものがないか吟味するために集い、神の言を学んでいます。いまだに、何が好きになれないのか?何が苦手なのか?逆に、何に心をひかれているのか?・・・イエス様は私たち一人一人をつくり変えた愛の神です。そして、「神」であると同時に「救い主」であり、助け手聖霊までも与えて下さった方です。そんな「神」は他に存在しません。私たちを人生の窮地、ピンチから救ってくださった神。命を与えて下さった神。本当は私たちが十字架刑を受けるほどの罪人でした。しかし、イエス様が全人類の身代わりとなって、十字架にかかってくださったのです。人生でつまずき地獄まっしぐらであり、ほえたけるししのようにサタンが動き回っているこの世から、救い出してくださったのです。それがクリスマスの意味でもあります。

この事実に感謝して生きているでしょうか?満ち溢れる喜びがあるでしょうか?永遠の輝く栄光を自らをもって表しているでしょうか?周りの人から「クリスチャンなのにそんなものか。私の方が良い」、「私と同じじゃん!献金をとられるだけ損だ、教会なんか行ったら」と思われていないでしょうか?主の兵卒、神の軍隊の一員、キリストの花嫁であるという自覚をもって生活しているでしょうか?

私たちはキリストの情婦ではありません。キリストの一時的な不倫相手ではありません。キリストの花嫁であり、主が再臨された時には、天に引き上げて頂く者です。その気持ちでいたら、おのずとこの地上に未練はなくなります。すっと空中に引きあげられます。しかし、牧師の問いに対して挙手できなかった人は足の底から根っこが生えていて、それが地獄とつながり引き上げられません。改めて、「何を握っていますか?仕事?お金?好きな人?好きな事?よくよく自覚して歩くように!」と語られました。

 

今、心配事、悩み事、背負っている重荷があるならば、イエス様の足元に置くことです。どうしていいか分からない時、いつでも、イエス様に全神経を集中して聞き尋ねる姿勢が重要です。答えが頂けないと思う時は、静まることです。実際は、すでに答えを得ている場合もあります。自分が何かを握りすぎているために、言われていることが分からないのです。お金を握っていたら、まず計算してしまい分かりません。人の目を気にしていたら、まず他者を思ってしまって分かりません。病気を握っていたら、体の心配が先立って分かりません。主の声は小さく、腹から語られます。それは自分がいつも思考によって否定し、無視してきた声かもしれません。実際は一番最初に、パッと来た思いが主の声であることが多いです。何をすればよいか助け主聖霊が、自分の霊が教えており、右か左かどちらが正しいか、必ず分かっているはずです。それを頭に戻して考えるから、分からなくなり、自分の心で問題を大きくしているだけなのです。思い煩わず、他者に聞くのではなく、イエス様から答えをもらえることに感謝し、「主にあってできる!」で一歩踏み出せるクリスチャンの特権を放棄してはなりません。自分がやるのではなく、主が助けてくださる!清水寺の舞台から飛び降りるつもりでやったら、たった2センチだった!それがイエス様と共に歩み、常に喜びが伴うクリスチャンの在り方なのだと語られました。

 

以前、科学者は神の存在を認めると、科学の存在が薄れてしまうからと、創造神の存在に対する議論を嫌がっていると話を書きましたが、見えない神・イエス様の存在は、イエス様の声を聞き、みことばを成し遂げた私たち一人一人の証をもって証明するしかありません。私たち自身の信仰も、証によって生まれ、強められていきます。しかし、牧師が聞いたら証だと思うことも、気づけない、忘れる、現実問題に流されてなかった事にする羊がいます。

今週の集会で、ガラテヤ人への手紙4章を読みました。ガラテヤ人は、人間の角度から神を見る人、頭で神を理解しようとする人、宗教をしている人であると語られました。せっかく救われたのに、神に対する見方が変わらず、生き方も変えない自称クリスチャンになっていないか吟味しました。

 

ガラテヤ4:1〜31本

わたしの言う意味は、こうである。相続人が子供である間は、全財産の持ち主でありながら、僕となんの差別もなく、父親の定めた時期までは、管理人や後見人の監督の下に置かれているのである。それと同じく、わたしたちも子供であった時には、いわゆるこの世のもろもろの霊力の下に、縛られていた者であった。しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためであった。このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。したがって、あなたがたはもはや僕ではなく、子である。子である以上、また神による相続人である。

神を知らなかった当時、あなたがたは、本来神ならぬ神々の奴隷になっていた。 しかし、今では神を知っているのに、否、むしろ神に知られているのに、どうして、あの無力で貧弱な、もろもろの霊力に逆もどりして、またもや、新たにその奴隷になろうとするのか。 あなたがたは、日や月や季節や年などを守っている。 わたしは、あなたがたのために努力してきたことが、あるいは、むだになったのではないかと、あなたがたのことが心配でならない。 

兄弟たちよ。お願いする。どうか、わたしのようになってほしい。わたしも、あなたがたのようになったのだから。あなたがたは、一度もわたしに対して不都合なことをしたことはない。 あなたがたも知っているとおり、最初わたしがあなたがたに福音を伝えたのは、わたしの肉体が弱っていたためであった。そして、わたしの肉体にはあなたがたにとって試錬となるものがあったのに、それを卑しめもせず、またきらいもせず、かえってわたしを、神の使かキリスト・イエスかでもあるように、迎えてくれた。 その時のあなたがたの感激は、今どこにあるのか。はっきり言うが、あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出してでも、わたしにくれたかったのだ。 それだのに、真理を語ったために、わたしはあなたがたの敵になったのか。 彼らがあなたがたに対して熱心なのは、善意からではない。むしろ、自分らに熱心にならせるために、あなたがたをわたしから引き離そうとしているのである。 わたしがあなたがたの所にいる時だけでなく、いつも、良いことについて熱心に慕われるのは、良いことである。 ああ、わたしの幼な子たちよ。あなたがたの内にキリストの形ができるまでは、わたしは、またもや、あなたがたのために産みの苦しみをする。 できることなら、わたしは今あなたがたの所にいて、語調を変えて話してみたい。わたしは、あなたがたのことで、途方にくれている。 

律法の下にとどまっていたいと思う人たちよ。わたしに答えなさい。あなたがたは律法の言うところを聞かないのか。 そのしるすところによると、アブラハムにふたりの子があったが、ひとりは女奴隷から、ひとりは自由の女から生れた。 女奴隷の子は肉によって生れたのであり、自由の女の子は約束によって生れたのであった。 さて、この物語は比喩としてみられる。すなわち、この女たちは二つの契約をさす。そのひとりはシナイ山から出て、奴隷となる者を産む。ハガルがそれである。 ハガルといえば、アラビヤではシナイ山のことで、今のエルサレムに当る。なぜなら、それは子たちと共に、奴隷となっているからである。 しかし、上なるエルサレムは、自由の女であって、わたしたちの母をさす。 すなわち、こう書いてある、 「喜べ、不妊の女よ。 声をあげて喜べ、産みの苦しみを知らない女よ。 ひとり者となっている女は多くの子を産み、 その数は、夫ある女の子らよりも多い」 。

兄弟たちよ。あなたがたは、イサクのように、約束の子である。 しかし、その当時、肉によって生れた者が、霊によって生れた者を迫害したように、今でも同様である。 しかし、聖書はなんと言っているか。「女奴隷とその子とを追い出せ。女奴隷の子は、自由の女の子と共に相続をしてはならない」とある。 だから、兄弟たちよ。わたしたちは女奴隷の子ではなく、自由の女の子なのである。

 

アーメン宝石ブルー

ここで言う「律法のもとにとどまっていたいと思う人」とは、信仰で歩かない人です。救われてもなお、ガラテヤ人のように生きているのであれば、私たちは、女奴隷の子、霊的私生児なのだと語られました。
私たちクリスチャンは自由の女の子です。二度と宗教、奴隷のくびきにつながれてはなりません。聖書の教えを“宗教”にしてしまっていないでしょうか?宗教の霊が入れば、あれもダメ、これもダメと言われる厳しいもの、生きづらいものに神の言が成り下がっていきます。神を恐れず、“これぐらい良いか”と自分でハードルを下げて、罪を犯し続けていくようになります。

本来、主の霊のあるところには自由があり、常識をくつがえし、不可能を可能にする力があるものです。私たちは神による相続人とされ、全てのものを主イエス様にあって頂いています。健康、社会的、経済的祝福が神に従うことによって全て添えて与えられると約束されています。一時的な快楽のために、富(お金)のために、神の子の特権を放棄してはならないと語られました。特にお金は、主にあって得るならば良い使い道が与えられていきますが、必死に自分の利益のために得たお金は羽が生えて一瞬にして消えていきます。
今週は、献金についてもマラキ書3章6節~12節のみことば、
【主なるわたしは変ることがない。それゆえ、ヤコブの子らよ、あなたがたは滅ぼされない。 あなたがたは、その先祖の日から、わが定めを離れて、これを守らなかった。わたしに帰れ、わたしはあなたがたに帰ろうと、万軍の主は言われる。ところが、あなたがたは『われわれはどうして帰ろうか』と尋ねる。 人は神の物を盗むことをするだろうか。しかしあなたがたは、わたしの物を盗んでいる。あなたがたはまた『どうしてわれわれは、あなたの物を盗んでいるのか』と言う。十分の一と、ささげ物をもってである。 あなたがたは、のろいをもって、のろわれる。あなたがたすべての国民は、わたしの物を盗んでいるからである。 わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。 わたしは食い滅ぼす者を、あなたがたのためにおさえて、あなたがたの地の産物を、滅ぼさないようにしよう。また、あなたがたのぶどうの木が、その熟する前に、その実を畑に落すことのないようにしようと、万軍の主は言われる。 こうして万国の人は、あなたがたを祝福された者ととなえるであろう。あなたがたは楽しい地となるからであると、万軍の主は言われる。】
を確認しましたが、“クリスチャンなのになぜこんな事になるのか?”と思う時、まず十分の一献金を忠実に行なっているか問われると語られました。自分なりにやっていると言っても、収入の十分の一をきっちりお返していないのであれば、神のものを盗んでいることは変わりません。100%祝福は得られず、サタンに門を開いていることになると語られました。

また、現実的に、自由の女の子(本妻の子)がキリスト教・クリスチャンであり、女奴隷の子(めかけの子)がイスラム教徒の祖先であると言われています。イスラム教徒には、自由がありません。一日に何度もメッカに向かって祈りを捧げ、食べ物や、女性の服装、身なりも制限されています。彼らもサタンの犠牲者ですが、今日に至るまで、イスラエル・シオニストたちは、【聖書はなんと言っているか。「女奴隷とその子とを追い出せ。女奴隷の子は、自由の女の子と共に相続をしてはならない」とある。】というみことばを利用して、ガザ地区でイスラム教徒を迫害し、殺害してきました。それが神の御心であると信じています。「キリスト教は戦争をしているじゃないか!」という迫害の声をよく聞きますが、戦争をする者がクリスチャン、みことばに従っているとは言えません。自由の女の子は、約束によって生まれました。そこにあった召しと選びをクリスチャンは聞かなければなりません。決して、“目には目を、歯には歯を”で武力行使することが御心ではなく、【愛がなければ一切が無益】であることを再確認しました。

 

さらに、先週はA兄弟から驚く報告を受けました。最近よく聞く『国際ロマンス詐欺』にあってしまったというのです。被害額は835万円であるという事でした。A兄弟は11年前に妻が自宅で自死し、ショックからうつ病になり、仕事もできない中で会社を裁いているところにいましたが、7年前に先に救われていた姉や友人を通してイエス様を知り、救われました。娘たちは、母親の自死を父親であるA兄弟のせいにもしており、親子関係や義理の両親との関係にも悩んでいましたが、イエス様によってうつ病が癒され、会社をゆるして復職し、聖書を学びながら元気に生活する中で、孫もでき、娘たちとの関係も修復されていきました。そんな中、娘たちが「再婚しても良い」と言ってくれ、婚活アプリを始めたところ、最初にマッチングした女性に騙されることになったのです。

プロフィール写真はなく、A兄弟が彼女を選んだきっかけは、良いビジネス(ネットショッピング)を知っていて、そのやり方を教えてくれるという事だったそうです。彼女の容姿は後から写真を送ってくれたことで知り、一目惚れしたとの事ですが、お金を得ることに熱心になるA兄弟には先にそのビジネスが魅力的に感じたのです。

長女からは、こんなに若くてきれいな女性があり得ない、騙されている、絶対にお金を払ったらダメだと釘を刺されていましたが、A兄弟は舞い上がって上の空であり、聞き流しました。そして、会った事もないのに、1週間後には交際をはじめました。今思えばカタコトの日本語だったためか、口調がアホっぽく感じ、「電波が悪い」、「キャッチホンが入った」という理由で電話はたったの2回だけで、LINEのやりとりだけをしていました。

 

そして、彼女がやっているネットショッピング(グレイルドというショッピング偽サイト)に誘われ、サイトをよく調べることなく始めてしまいました。在庫を持たず、商品が売れたら代金を振り込み、客に届いたら代金に利益(代金の10%)がプラスされて返金されるというシステムでした。同時に、彼女からは淫乱な写真や動画が送られてくるようになり、正常な判断ができないほど彼女にのめり込んでいきました。最初は8万円ほどのデジカメで、これに対しては代金が振り込まれました。しかし、だんだん高価なものとなっていき、計6回の売買で最終878万円のロレックスとネックレスとなったため、支払えない旨を伝えると、システム上取り引きは取り消しできず、完遂しなくては今まで貯めたお金は支払えないと言われました。彼女からは「困ったら協力するから」と言われ、3件の消費者金融から合計638万円借り入れました。それを振り込んで終わると思っていたのですが、それまでに何回か不特定多数の口座に計414万円という高額な振り込みをしていたため、銀行から振り込みを止められ、口座を凍結され、警察からも詐欺の可能性があるからその振り込みはやめるよう言われ、振り込みできませんでした。しかし、凍結解除後、他の口座にお金を移し振り込んでしまいました。

この取り引きで、今まで貯めたお金を引き出して終わろうと思っていましたが、振り込みを延滞したため、お客からクレームが入り、信用ポイントが低下したので支払えない、信用回復として480万円を振り込んだら売上金として480万円を一緒に支払うと言われました。そこでもまだあやしいと気づけずに、お金を工面するために保険屋の社長をしている友人に保険の解約の電話をしました。正直に事情を説明すると、友人が弁護士に相談してくれ、弁護士からあやしいと言われ、そこで初めて詐欺と気づき、警察に被害届を出したのです。

振り込みに使われた口座の6個中4個は、すでに被害届が出されていて凍結されており、口座に残金があればいくらか返ってくるが、ほとんど期待できないということでした。

 

A兄弟からの報告に、皆言葉を失いました。まさか、同じ群れの中で、このような詐欺の被害に遭う人がいるのかと驚き、何をしているのか!という怒りと呆れ、ここまで騙されてしまうA兄弟の信仰とは一体どんなものであったのかと、兄弟姉妹から訓戒のメールが続きました。

我に返ったA兄弟は、何回もイエス様からノックされていたことに気付きました。娘から釘を刺されていたこと、結婚に対するきよさ、姦淫不品行はダメであるという動画がぴったりのタイミングで送られてきたこと、振り込みの手続きをしている時に通信が不安定になった事、振り込みが止められ、銀行や警察から中止するよう電話があったことなど、その時にこんなに事が上手く進まないのは御心ではないと分かっていたのにも関わらず、デート代を稼ぎたいという肉欲が勝ってしまい、強行したのです。イエス様が手を差し伸べて下さり、聖霊が知らせ、助けようとされているにもかかわらず、振り払い、言い逆らい、背を向けてしまった事を、A兄弟は悔い改めました。

 

さらに、今週の集会では、皆の前で改めて悔い改めました。その中で、救われて7年間、「何らやましいことはない」とは言えない不信仰な自分、不信仰な生活であったことも明らかにしました。イエス様から交通費の支援を受けて遠方から集会に参加しに来ているにもかからわず、日曜クリスチャンになっており、月曜日から土曜日まで聖書を開くことも、祈ることもない生活をしていたこと、ほぼ毎日お酒を飲んでいたこと、スピード違反の運転をし続けてきたこと、会社への裁きがあり、職場で挨拶も交わさないような状況であったこと、今の住居は土地を自分が購入し、家は義理の父親が2世帯住宅として建ててくれたにもかかわらず、勝手に自分のものとして売却しようとしていたこと、周りにクリスチャンであることを表明せずにきたこと・・・娘たちは、今回の詐欺被害によって父親への信用をなくし、勝手に家を売却するのではないかと心配し、せっかく蒔いてきた福音の種も、台無しにしていまいました。

神に対するどれだけの裏切りがあったか・・・信仰に堅くたっていないがために、分かっていても肉欲・性欲に負け、サタンに囚われ、狂わされていったことが分かりました。まさにくさびがどんどん打たれ、最後に木が倒されたと言えます。

A兄弟はイエス様に24時間365日繋がっている状態ではなかったことを悔い改め、全てを改めて生活していく決意表明をしました。

 

A兄弟自身はたくさんのみことばを頂きましたが、その中でもホセア書4章を読んだタイミングで、姉妹から5章が与えられたので、皆で4章、5章を確認しました。

 

ホセア4:1〜19本

イスラエルの人々よ、 主の言葉を聞け。 主はこの地に住む者と争われる。 この地には真実がなく、愛情がなく、 また神を知ることもないからである。 ただのろいと、偽りと、人殺しと、 盗みと、姦淫することのみで、 人々は皆荒れ狂い、 殺害に殺害が続いている。 それゆえ、この地は嘆き、これに住む者はみな、 野の獣も空の鳥も共に衰え、 海の魚さえも絶えはてる。

しかし、だれも争ってはならない、 責めてはならない。 祭司よ、わたしの争うのは、あなたと争うのだ。 あなたは昼つまずき、 預言者もまたあなたと共に夜つまずく。 わたしはあなたの母を滅ぼす。 わたしの民は知識がないために滅ぼされる。 あなたは知識を捨てたゆえに、 わたしもあなたを捨てて、わたしの祭司としない。 あなたはあなたの神の律法を忘れたゆえに、 わたしもまたあなたの子らを忘れる。

彼らは大きくなるにしたがって、 ますますわたしに罪を犯したゆえ、 わたしは彼らの栄えを恥に変える。 彼らはわが民の罪を食いものにし、 その罪を犯すことをせつに願っている。 それゆえ祭司も民と同じようになる。 わたしはそのわざのために彼らを罰し、 そのおこないのために彼らに報いる。 彼らは食べても飽くことなく、 淫行をなしてもその数を増すことがない。 彼らは主を捨てて、淫行を愛したからである。

酒と新しい酒とは思慮を奪う。 わが民は木に向かって事を尋ねる。 またそのつえは彼らに事を示す。 これは淫行の霊が彼らを迷わしたからである。 彼らはその神を捨てて淫行をなした。 彼らは山々の頂で犠牲をささげ、 丘の上、かしの木、柳の木、 テレビンの木の下で供え物をささげる。 これはその木陰がここちよいためである。 それゆえ、あなたがたの娘は淫行をなし、 あなたがたの嫁は姦淫を行う。 わたしはあなたがたの娘が淫行をしても罰しない。 またあなたがたの嫁が姦淫を行っても罰しない。 男たちみずから遊女と共に離れ去り、 宮の遊女と共に犠牲をささげているからである。 悟りのない民は滅びる。

イスラエルよ、あなたは淫行をなしても、 ユダに罪を犯させてはならない。 ギルガルへ行ってはならない。 ベテアベンにのぼってはならない。 また「主は生きておられる」と言って 誓ってはならない。 イスラエルは強情な雌牛のように強情である。 今、主は小羊を広い野に放つようにして、 彼らを養うことができようか。

エフライムは偶像に結びつらなった。 そのなすにまかせよ。 彼らは酒宴のとりことなり、 淫行にふけっている。 彼らはその光栄よりも恥を愛する。 風はその翼に彼らを包んだ。 彼らはその祭壇のゆえに恥を受ける。

 

ホセア5:1〜6:3本

祭司たちよ、これを聞け、 イスラエルの家よ、心をとめよ、 王の家よ、耳を傾けよ、 さばきはあなたがたに臨む。 あなたがたはミヅパにわなを設け、 タボルの上に網を張ったからだ。 彼らはシッテムの穴を深くしたが、 わたしは彼らをことごとく懲らしめる。

わたしはエフライムを知っている。 イスラエルはわたしに隠れることがない。 エフライムよ、あなたは今淫行をなし、 イスラエルは汚された。 彼らのおこないは彼らを神に帰らせない。 それは淫行の霊が彼らのうちにあって、 主を知ることができないからだ。

イスラエルの誇はその顔に向かって証言している。 エフライムはその不義によってつまずき、 ユダもまた彼らと共につまずく。 彼らは羊の群れ、牛の群れを携えて行って、 主を求めても、主に会うことはない。 主は彼らから離れ去られた。 彼らは主にむかって貞操を守らず、 ほかの者の子を産んだ。 新月は彼らをその田畑と共に滅ぼす。

ギベアで角笛を吹き、 ラマでラッパを鳴らし、 ベテアベンで呼ばわり叫べ。 ベニヤミンよ、おののけ。 エフライムは刑罰の日に荒れすたれる。 わたしはイスラエルの部族のうちに、 必ず起るべき事を知らせる。 ユダの君たちは境を移す者のようになった。 わたしはわが怒りを水のように彼らの上に注ぐ。 エフライムは甘んじて、 むなしいものに従って歩んだゆえ、 さばきを受けて、しえたげられ、打ちひしがれる。 それゆえ、わたしはエフライムには、しみのように、 ユダの家には腐れのようになる。

エフライムはおのれの病を見、 ユダはおのれの傷を見たとき、 エフライムはアッスリヤに行き、 大王に人をつかわした。 しかし彼はあなたがたをいやすことができない。 また、あなたがたの傷をなおすことができない。 わたしはエフライムに対しては、ししのようになり、 ユダの家に対しては若きししのようになる。 わたしは、わたしこそ、かき裂いて去り、 かすめて行くが、だれも救う者はない。

わたしは彼らがその罪を認めて、 わが顔をたずね求めるまで、 わたしの所に帰っていよう。 彼らは悩みによって、わたしを尋ね求めて言う、

「さあ、わたしたちは主に帰ろう。 主はわたしたちをかき裂かれたが、またいやし、 わたしたちを打たれたが、 また包んでくださるからだ。 主は、ふつかの後、わたしたちを生かし、 三日目にわたしたちを立たせられる。 わたしたちはみ前で生きる。 わたしたちは主を知ろう、 せつに主を知ることを求めよう。 主はあしたの光のように必ず現れいで、 冬の雨のように、わたしたちに臨み、 春の雨のように地を潤される」。

 

アーメン宝石赤

淫行、恥ずかしくて言葉にもできない行いに対する神の裁きと、地球上が、地上がどうなろうと、神のスタンスは変わらないのだと語られました。人間の堕落は性的な事から始まります。「貞操観念」(人としての正しい道を守るという考え。男女が相互に性的純潔を守るという考え)という言葉が死語となってしまった今の世の中ですが、貞操観念のない器に福音は語れませんし、他者もそのような器から福音は聞けないのだと語られました。

 

最初に報告を受けた牧師は、A兄弟に「まだ命があって良かった。すごい魔が差したのですね」とおっしゃいました。詐欺と気づかないままであったなら、先週の土曜日に彼女と一泊旅行をするつもりだったそうです。案の定、彼女は「父親が入院した」と言ってキャンセルしてきたそうですが、行っていたらどうなっていたか分かりませんし、このような事態になり、ショックと恥ずかしさ、財産も奪われこの先生活できないとなれば、自ら命を絶ってもおかしくなかったでしょう。

 

牧師は、A兄弟を教材に、皆に対しても、「これがサタンのやり方です!サタンをなめてはいけません!」とおっしゃいました。今回は妻に先立たれたA兄弟の寂しさ、女性に対する情欲、お金に対する貪欲にサタンがつけこんだのです。サタンに囚われたら理性も知性もとび、狂わされていくこと、サタンをなめてはならないことを、肝に銘じなければならないと語られました。

もし自分だったら・・・と想像する時、微塵でも同じ手口に引っかかる可能性を思うのであれば、自分の信仰の土台を吟味しなければなりません。特に男性陣からは、「仕事中はイエス様と繋がっておらず、自分の力でやっていることが多い」という言葉もあり、イエス様に繋がっていない瞬間が一瞬でもあるなら、ほえたけるししに狙われるのだと語られました。どれだけ、日々信仰に立って抵抗しているのか、戦い抜いているのか、一人一人が自分の信仰生活を振り返り、サタンに付け入る隙を与えてはならないと語られました。

 

そして、A兄弟の肉の寂しさをどれだけ理解し、兄弟姉妹が交わりをしてきたか、言葉をかけてきたかも問われました。共に聖書を学んでいるA兄弟の姉や、姉家族もこのような事態を招いたことに対してA兄弟を訓戒しましたが、A兄弟との交わりが少なかったことを反省し、ここからは、毎週帰省した際には、夕飯を共にし、霊の交わりをしていくと話しました。

 

‭‭7年間のA兄弟の歩みを見てきたイエス様は、彼が自分の悪・罪をとことん忌み嫌えるように導かれました。その中で、いくらでもイエス様にたちかえることのできる瞬間はありました。聖霊は、A兄弟の霊にノックし続けていました。多額の被害を生む必要のない道は備えられていましたが、A兄弟は自分の意思・肉で突き進みました。それでも感謝なことに、消費者金融に返済しなければならないお金は退職金でまかなえます。前借するか、すでに満額もらえる年齢のため退職することで、自分で尻ぬぐいできます。こんな事のために使うのは本当に愚かで虚しいことですが、神はこうなることも全て御存知で、A兄弟を今の会社に留まらせ、退職金を得れるまで働かせ続けてくださいました。返済して、一から真のクリスチャンとして学び直し、人生をやり直する機会がまだ与えられています。そう思う時、落ち込んで終わりではなく、「万事が益であった!私が弱い時こそ私は強い!」と言えます。娘たちとの関係も、信仰で歩むなら、必ず神が挽回させてくださるのだと語られました。

そして、牧師を通してイエス様からA兄弟にみことばが与えられました。

 

ヘブル12:10〜17本

肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。 すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。

それだから、あなたがたのなえた手と、弱くなっているひざとを、まっすぐにしなさい。 また、足のなえている者が踏みはずすことなく、むしろいやされるように、あなたがたの足のために、まっすぐな道をつくりなさい。 すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。 気をつけて、神の恵みからもれることがないように、また、苦い根がはえ出て、あなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚されることのないようにしなさい。 また、一杯の食のために長子の権利を売ったエサウのように、不品行な俗悪な者にならないようにしなさい。 あなたがたの知っているように、彼はその後、祝福を受け継ごうと願ったけれども、捨てられてしまい、涙を流してそれを求めたが、悔改めの機会を得なかったのである。

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第1ペテロ5:1〜11本

そこで、あなたがたのうちの長老たちに勧める。わたしも、長老のひとりで、キリストの苦難についての証人であり、また、やがて現れようとする栄光にあずかる者である。 あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためではなく、本心から、それをしなさい。また、ゆだねられた者たちの上に権力をふるうことをしないで、むしろ、群れの模範となるべきである。 そうすれば、大牧者が現れる時には、しぼむことのない栄光の冠を受けるであろう。 同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。また、みな互に謙遜を身につけなさい。神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜うからである。

だから、あなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい。時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう。 神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。 この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。あなたがたのよく知っているとおり、全世界にいるあなたがたの兄弟たちも、同じような苦しみの数々に会っているのである。 あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。 どうか、力が世々限りなく、神にあるように、アァメン。

 

A兄弟にはまだ悔い改めの機会がこの集会で与えられたこと、ここから、A兄弟を神が強め、力づけ、不動のものとして下さるという約束に感謝し、アーメンでした。

A兄弟に対する神の思いを牧師を通して聞き、「まだA兄弟に腹が立つ人はいますか?A兄弟を兄弟として受け入れ、これからも共に学んでいける人は手を挙げてください」と問われた時、いっせいに皆の手が挙がり、A兄弟は深々と頭を下げました。私たちは神の家族であり、キリストの肢体です。一人が痛めば皆が痛みます。二度とA兄弟がサタンの策略にかからないように、他の兄弟姉妹も足を踏み外すことのないように、共に重荷を負い合い、愛し合い、励まし合い、支え合っていく思いで一致しました。

 

‭‭実は今回のA兄弟の報告は、牧師の68歳の誕生日、12月5日の早朝に来ました。牧師は、「すごい誕生日プレゼントが届いた」と思ったそうです。

12月5日、125、『ワンツーゴー』と啓示を受け、皆心新たに前進する時であること、今まで語られてきた通り、置かれたところでファーストペンギンとして何事も主にあって恐れず飛び込んでいくことのできる者となること、そのためにはイエス様と24時間365日繋がる不動の信仰が必要であることを語られ、アーメンでした!互いに関心をもち、サタンの策略を足の下に踏みつけていく12月となったことを感謝します!!

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