幼い頃から


8月は、妹と私の2日続きの誕生日


三つ違いの妹と一緒。





母に、花の苗を3つ。


カードを添えて渡した。





産んでくれて、ありがとう。



妹と私の名前を書いた。






私の癌告知から、


母には一緒に


いろんなものを背負ってもらってる。


母親というのは子を想う愛故に


心配度が高くなるんだなぁと思う。






私は、抗がん剤・放射線を選ばなかった。


身体がどうしても賛同しなかったから。





家族は反対した。


総合病院の診察についてきて説明を一緒に聞いた。


家族の愛を優先して


自分の意志がぐらついているのを感じた。




私は、私でいたいんだ、、、、




翌日、家出をした。







2週間の家出で、私は私に向き合った。


身を寄せさせてもらった場所と


協力してもらった人たちは命の恩人。











私は、B型肝炎キャリア


もともと肝臓が弱い。




家出から戻り



補完代替医療で


成人性T白血病の陽性反応が出た。





ゾッとした。





あの時、


自分の意志を曲げて


家族の為にと我慢して


抗がん剤治療をはじめていたら


もしかしたら


誕生日を迎えられなかった私や


弱って弱りきった私が


いたんだろうと思う。


(そんな別次元の夢を見た。私も妹も。)






最近になって


家出していたことをダーリンに打ち明けた。


「そうだろうね」


と静かに返事した。



彼も、いろいろ一緒に背負ってくれている。





誕生日の朝


プライベート砂浴合宿に出発する私たちを


母が見送りにきた。




お小遣いをもらった。


手紙が入っていた。






千賀ちゃん


お誕生日お目出とう


きのうはありがとうね


何もしてあげられなくてごめんね


お宿代の足しにしてください


気をつけていってらっしゃい








おかあさん


あなたは私を


この世界に生み出してくれた。




もう、それだけで充分「してもらった」





どれだけの不安と心配を追いやり


私に


笑顔を向けようと努力しているのを知ってる。





産んでくれて、ありがとう。




私、生きるよ。