「ギター初心者」であり

且つ

「10年以上スピリチュアルを求道してきたわたし」の


ギターの練習の話です。







弾きたい曲のテンポに合わせて

ギターのコードを押さえていると



「A……E…………(もたもたしながらも必死で曲に合わせようとして指を動かしている)えっ、次が F#m!?指が追いつかないよ!」



曲の速さに

指と記憶が追いつかず


焦っている内に
完全に曲に置いていかれて

指がまったく動かなくなる……


ということが

よくあるのですが





「これ、チャネリングをしている時に 膨大な情報がおりてきて 言語化の処理が間に合わなくて呆然としてしまっていた時のわたしだなあ」



気づきました。







つまり


ギター(楽器)の奏で方は

チャネリングのやり方と

ほぼ同じなんだな




気づきました。






























チャネリングは




完全に自分をまっさらになるまで

浄化して


神の導管として相応しい自覚を

認識した上で


光と一体化することを意図すれば

自然と情報がおりるものですが



(※ こう書くと誰でも簡単にチャネリングができそうですが実際はそうでもないです。わたしはそこに至るまでの土壌があるから「自然と」できるようになっただけです。何度も書きますが わたしは一朝一夕でチャネリングできるようになったわけではありません。相当な時間をかけて相当な人数から教えを受けて相当な禊をして相当に自分と向き合って最終的に独りで一途にスピリチュアルを求道してきた過去があります。)
 





その情報を

「日常生活にいる自分」に落とし込み

且つ

生きていきながら
実行していくためには


潜在意識だけでなく
顕在意識に刷り込む必要があるし


そのためには

人間の感覚に適した言語化をして
知覚する必要があります。



   


しかし

そもそもチャネリングする時には


心身共に穢れを排して
光に意識を全て預けて
真っさらな状態になる必要があり

深い変性意識に入れば入るほど
認知が作用しなくなるものですから


根源的な光に深く繋がるほど 
言語化する脳のスイッチが
入らなくなりますし

逆に

言語化しようとして
顕在意識のスイッチを入れれば
自我の干渉により真我との繋がりが切れやすくなる


というように 



片方に意識を合わせれば
もう片方が作動しなくなる

というジレンマが


スピリチュアル初心者の時代には

ありました。


 
(今でもよくある話です)






チャネリングに集中すればするほど
情報の言語化ができなくなるし

(正確にいうと「言語化する必要性を感じない状態になっている」から言語化スイッチが入らない)


言語化しようとすればするほど
純粋性の高いチャネリングは
難しくなる


ということです。








「じゃあどうすればいいのか」は

勿論いまのわたしにはわかりますが








まあ  

まとめだけ書くと


(そもそもこの「チャネリングのやり方と言語化の関係性」を他者に伝えるために言語化すること自体が面倒くさくなってきたのでもうこの話やめます)



チャネリングを言語化する時の感覚で

ギターを弾きなさい


って話ですね。










自分は


どういう状態であれば


チャネリングの言語化が上手くいくのかを

思い出しながら弾け


というか




自力で言語化するまでもなく

神と自分が一体化していた時の状態で


やれ


って話です。












  


修練が必要かもしれませんが




核にあるものはわかりました。














まだ

ギターを始めたばかりなので

難しく感じるのは当たり前で



10年近く練習すれば

上手く弾けるようにもなるだろう、

とは思います。








わたしだって


10年近く

一途にスピリチュアルを究めてきて

やっと「チャネリングを言語化する感覚がわかるようになった」のですから



そんなことは当たり前だと

思います。





    




  

 


まあ

いずれわたしは

ギターを弾かなくなる予定なのですが





今は 
  
あまりにも

右半身のエネルギー
(わたしの男性性を握っている人間から送り込まれる執着心のような感情エネルギー)

「黙ってろ」
「真実を話すな」

って

左半身(女性性)を
無理やり押さえ込もうとしていて



それに抵抗するために

ギターを弾かされているだけなのですが
  



だからこそ

操り人形のように
ただ弾かされるのではなくて
弾く意味を知りながら弾きたいし


ギターを弾くことによって「わかること」は
できるだけ記録しておこうと

思います。










自分のために


覚書しておきます。







   



  









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