琉球王国時代から伝わるティの発祥のについて参考になると思います。

動画版

古より伝えられし琉球の徒手空拳 【12人の武装集団ヒキ 】YouTube初公開!琉球の【手】ティーから学ぶ日本人が忘れている礼節の心とは…



https://youtu.be/_wsHZrQ6gU8

長文ですが

琉球王国時代の武装集団 ヒキ

琉球王国は三山時代から第二尚氏の薩摩侵攻まで、
海外貿易で栄えていました。
特に明国(1368年~1616年)の時代には171回の入貢が記録されています。
約250年の間に171回ですので、
多い時は毎年1回のペースで琉球と明国を行き来していたと思われます。
また、琉球は明国だけではなく、ベトナムやマラッカまで貿易の範囲を広げ、
時の東南アジア各地へと航海していたのです。

その貿易を担っていたのが、ヒキという集団です。
最近の研究により、琉球の行政組織とその手法に新しい見解が出されています。
まだはっきりとしたことは解っていませんが、
琉球王国は12のヒキという軍事組織が担っていたようです。
このヒキという軍事組織は、軍事だけではなく、貿易、行政も担当していたらしく、
12のヒキが交代勤務をしていたらしいのです。

このヒキの長を船頭(勢頭(せど))と呼び、副官を筑殿(ちくでん)と呼びました。
この一部のヒキが、進貢船を率い中国をはじめとするアジアへ乗り出し、
他のヒキは、琉球の行政を担当し、
残りのヒキは職務から離れ、技を磨き、学問を修めつつ、次の任務を待つ
というような、交代制の、組織だったようです。

このヒキの中で、古代按司時代に芽生えた手(ティー)は、
洗練され、稽古型の研究が各ヒキの中で行われてきたのだと思います。
進貢船や、貿易船を率いるヒキたちは、
航海の途上、海上では海賊の襲来に会い、
陸上では各盗賊や地域の悪役人などの悪行に悩まされていたのでしょう。
しかし、貿易立国琉球としては、相手を殺戮してしまうと、
その噂はたちまちにして大陸中に広がり、次からの貿易に支障をきたすことになります。

実際、明国は、倭寇の侵略に悩まされた結果、倭国とは鎖国状態を維持していました。

それで、琉球が明国と日本の中継貿易として栄える結果にもなったのです。
この襲撃を受けても、負けずに、しかし、勝ちもせずに貿易という任務を遂行する。
その知恵がヒキという集団の中で蓄積されていったのだと思います。

中国大陸では孫子兵法が役に立ちます。
戦況によっては兵を引くのも兵法の一つです。
兵を引いて山奥に潜めば敵に襲来されることもないからです。
広大な中国という土地だからできる兵法です。
日本では逃げるような山など基本的にありません。
源義経は東北まで逃げましたが、最後には殺されてしまいました。
狭い日本での兵法は、負ければ死ぬまで徹底抗戦しかないのです。
「武士とは死ぬことと見つけたり」は狭い日本ならではの武士道なのです。

貿易立国琉球においては、一時的な戦闘に負けない手法を身につけ、
海上に逃げ延びることができれば、それ以上闘う必要はありません。
「負けてはいけない。しかし勝ってはいけない。」
沖縄伝統空手の神髄は、このヒキの戦いの中から生み出されたのかもしれません。

また、薩摩侵攻後は那覇には日本町が栄え、薩摩武士たちも居住していたことでしょう。
松村宗棍は、薩摩に渡り示現流の免許皆伝を受けています。
このように琉球の手使い(ティーチカヤー)が薩摩で剣術を学んだりしていますが、
逆もあったと思われます。
薩摩の剣豪たちは、琉球の手(ティー)と対戦すべく、
琉球に渡ってきた人々もいたと思われます。「果し合い」ですね。
琉球の手(ティー)の達人は、さすがに「果し合い」の挑戦を受けては断ることも出来ず、
対戦したかもしれません。
しかし、できれば挑戦を受けない方が良いので、武術伝承はやがて秘伝となり、
表立って手(ティー)の達人とは思われないような振る舞いが必要だったと思われます。
それが、本部御殿手の精神である、
「武というものは、学んでも一生使わないことが最上である」という精神を生み出したのでしょう。
手(ティー)は継承しつつも、だれにも悟られぬ。
これが、琉球王国後半の、手(ティー)の達人の精神を生み出したと思われます。

現代社会はインターネットの時代です。
インターネットを通して、さまざまな情報を取り、知識を膨らませることができます。
さらに、自分の意見をインターネットを通して発信することも出来ます。
これまで述べた手(ティー)を、知識と置き換えると、
この手(ティー)の思想から学べることがあるのではないでしょうか。

もう1度本部御殿手の精神を知識として振り返りますと、

①自分から敵を作るようなことはするな
②やむなく知識を用いるときは、墓穴を二つ覚悟せよ。
  (墓穴とは誹謗中傷)
③知とは学んでも一生使わないことが最上である。
 (やたら知識をひけらかすのは本当は安っぽくなってしまいます)
④議論の際は相手の考えを我が身のごとく考えて尊重し合え

そして翁長良光氏の言葉
「知的討論において、負けてはいけない、しかし、勝ってもいけない」

いかがでしょうか。
今、インターネットの世界では、敵を作るような言動が増えているのではないでしょうか。
誹謗中傷が入り乱れ、相手に対する尊重は全く見られない、
勝てる所で徹底的に発信する。

手(ティー)の思想からかけ離れた世界が身近に迫ってきています。
そんなネット社会で生きていく知恵を、今回の手(ティー)の思想から得られたら、幸いです。

手の使い手(ティーチカヤー)である武人は、自己実現のため生涯研鑽を積んで型を修得していきます。

最後に 剛柔流の師範である仲本雄一氏は、著書「剛柔流空手武道 奥義と妙義」の中で

古の時代より手(ティー)といった徒手空拳があり、それをベースに沖縄空手が発展したのだから
手(ティー)を基準にすべての流派は基本を統一するべきである。
同じ流派間でさえ、型の違いがあり解釈が違う今だからこそ、伝承された型を真剣に研究しなければならない。型に関して、解明すべき課題が山積みである。今後の指導者は型に関しての正確な追及を促すべきだ。

と述べています。

「知」に関しても同様です。ソクラテスは「無知の知」を唱え本物の「知」を生涯追求し続けました。
さまざまな「知」にあふれた情報社会の中、生きていかなければならない私たちは、
これらの「知」に振り回されることなく、
「知」の使い手として、生涯自己実現のために学びつづける必要があるのではないでしょうか。

「負けないために!」
「しかし、勝ってはいけません。本物の「知」はまだまだ先にあります。おごりは破滅につながります。」

琉球王国時代に交易していたタイ等には琉球の貿易船の乗組員(王府の役人ヒキ)の礼儀正しさと勇猛さを記録した文章が残っているそうです。