今日は県内の古本屋の交換会であった。場所は安里にある「国書房」である。
古本屋は毎月こうした交換会を行い、自店の得意分野を仕入れ、不得意な分野の書籍、もしくは売ってもいい書籍などをその場で売り、せりを行う。
古書組合などの場合、首都圏の組合などは専用の会館があり、そこで行うのだが、いかんせん、沖縄組合には組合会館とよべる建物が、ない。
したがってどこかを借りるか、県内の古書店の店の持ち回りで、交換市を行う。
今回の交換会は組合主催ではなく、有志の古本屋の集まりであるが、持ち回りの順番が国書房に当たった。
交換会に出品された書籍の一部。
紐にはさんである封筒に入札の金額を書いた紙をいれる。これが開封されるときが一番楽しい。あるいは自分の値段よりも他の業者が高値で落札したときには、「ちぇっ」という感情になる。ま、ついていなかったんだねー。卸値にも相場があり、変動がある。出品者は落札最低額の「止め値」というのをつけることができる。この値段によって、泣き笑いの結果が決まる。
で、くにしょぼう、のことについて少し触れたい。
国書房。この名前を聞いたことがない方は、いっぱしの沖縄古本屋通ではない。
ぼくは国書房を、沖縄県で最も抜きん出た「ハードコア古書店」だと思う。
「ハードコア古書店」この名前にふさわしい古本屋は、最近めっきり少なくなった。
何が「ハードコア」なのか。別にアダルトを専門にあつかっているとか、そういった意味合いで「ハードコア」と呼んでいるのではない。ぼくの言う「ハードコア」とは、一口で言うと「カオス」である。
この方が店主の仲本さんである。とてもいい人だ。今日もいろいろ本を買ったが、結構まけてくれた。ぼくはまけてくれる人には必然的に優しくなってしまうのである。それはまあ、いいとして。
もしかしたら国書房に入っても、あなたは店主の姿に気づかないかもしれない。店主さんは必要以外、カウンターの後ろで動かない。これも、ハードコア古書店のゆえんである。しかし喋ったら、気さくな良い方である。
何がカオスなのかは、店内に足を踏み入れた方なら、おわかりのはずである。
おそらく県内でもっとも在庫の多い個人経営の古書店なはずである。
これは悪口に聞こえるかもしれないが、そうではない。一言でいうと「整理されていない状態」の本が、ところせましと並んでいる。
いやいや、よく見るとある程度整理されてはいるのだが。横溝正史の文庫とか、ハーレクインとか、沖縄関係とか、ある程度は整理されている、ように見える。だが、ここは普通の古書店ではない。ハードコア古書店である。あなたはさらに奥深く、そのまた奥へと、古書の神によって導かれるまま、いざなわれるかもしれない。そこで出会うのは、おそらく古本好きが本能的に持っているあくなき探求心を刺激してやまない、書籍のカオスのバリケードである。
国書房を入って奥深く、右側のゾーンは禁断の区域だ。もしかしたらそこにはあなたが長年捜し求めていた本がひょっこりとあるかもしれないし、あるいは見たくもない本の残骸のみが存在するサルガッソー海域かもしれない。それはあなたが実際に国書房に行かないと、永遠にわからないことなのである。
ぼくも今日、カオスの中から埃にまみれた数冊の本を探り当てることができた。カオス=混沌の中から自分の目当ての本を捜し求める行為こそ、真のハードボイルド古書店の醍醐味である。うずたかく詰まれた未整理の本の後ろに、もしかしたら「それ」が眠っているかもしれないのである。
国書房は県内で唯一、このような楽しみを提供してくれる古本屋である。
さあ、きみも国書房で、沖縄古書店最後の魔境を開拓してみないか。
なんちってね。