アタックとまではいかなくても、エネルギー的に無意識に侵入侵略しているケースは非常によくあります。
たとえば、心配する、ということ。
「愛しているから心配なのよ」とか心配することを愛情であるかのように思い違いしている方は多いのでは?
この「心配」のエネルギーは、ちゃんと感じれる人からすればすごく邪魔な纏わりつく蜘蛛の巣のように行動を制限する感覚であったり、
現実的に動機やめまいなど生理的現象が起きるくらい、生命エネルギーに干渉しています。
先日、希望クリニックへ向かっていた際に、あいにく雨の日の事故で高速が渋滞しており、クリニックにたどり着くのが約束の時間の1~2分前になるだろうという厳しい時間帯の中、突然に体が前の方に引き寄せられるような奇妙な感覚を感じた。
更に車を停めてエレベーターに乗っていた時には、胸のあたりがざわざわとして、動機がひどくなり眩暈を起こし始めて「いったい何が起こってるんだろう?」とすごく不思議に思った。
後で看護婦さんと話していた時に、私の到着が遅いので、ものすごく心配で心配でずっと私が遅れやしないかと考えて考えて、窓から下の道路を覗いてみていたらしい。
その時はお互いにあったことを話して笑い話になったが、私のように感じやすい体質でかつ今何が起こっているかに冷静に対処できてなければ、パニックに陥る可能性もあるかもしれない。
先日の息子の三者面談の際にも、道が渋滞していて学校にたどり着くのがギリギリな時間になった時にも、同じようなことが起こった。
やはり車の中では動機息切れとぐらりと揺れる眩暈と、胸のあたりがざわざわする不快な感覚が起こってた。
この時は息子が「お母さん、遅いよ~」と心配していた。笑
通常、この心配するというエネルギーは使いようによっては危機を知らせることにも利用できそうだけど、相手が本当に危機の最中にある時には、逆に足を引っ張ることにしかならないような気がする。
このようにして、私たちは日常的にいつも誰かのことを考え、感情的になっているときには、相手のエーテル体に何かしらの信号を送り続けていて、受け取ってる方にも何らかの身体的反応が起こっているのです。
この影響から自分自身を引き離しておくには、
自分の体感覚に対して知覚はしても、混乱したりパニックにはならないように、思考でいっぱいにならない。
普通人は頭でいろいろ考える癖がついているので、普段と違うストレスのある環境下におかれた場合、考えてそのことに対処しようとすることが逆に更なる二次混乱を招きます。
なので、考えることは放棄して、体感覚を感じても、考えない。
気持ち悪いという反応が起こってそれに飲み込まれれば、被害者意識に入り込む精神的反応か、パニックになる肉体的反応を引き起こすからです。
ただ、ただ、感じていればそのうち過ぎ去ります。
今、ここで、起こっていることに、ただ身をゆだねる。
その内に、その感覚は、いずれ過ぎ去りますから。
次回は、ちょっと困るくらいの強めのサイキックアタックがきたらどう対処するかについて書いてみたいと思います。
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