今日は乃木神社で乃木精神の勉強会でした。
講師は、挙骨拓史先生です。
自分で本を読んだのは「坂の上の雲」のみ。
そして、映画「二百三高地」を二回観たのみです。
それで先生に質問する図々しさを恥ずかしく思います。
映画では、乃木さんは、旅順要塞を当初「鶏冠山」を攻撃、そこでただ突撃を繰り返し、無策で数万人の兵が死に、参謀本部は明治天皇に乃木更迭を上奏し、明治天皇がそれでは乃木が自決するからダメだとしたものを、大山巌が児玉源太郎に乃木を更迭させ、児玉が乃木さんに取って代わり指揮官となり「二百三高地」に目標変え成功したことにされています。
まるで乃木希典は無能。
しかし、今日質問しましたら、乃木さんは児玉が言う前に「二百三高地」攻撃に決めており、戦術もただ、がむしゃらに突撃させた訳ではなく、緻密な事前砲撃をしたり、トンネルで要塞を崩すなどの策略は張り巡らせていたとのことでした。
これで喉の支えは取れました。
乃木さんは、幼い頃に片目を失い虚弱でもあったそうです。西南戦争で官軍の将として軍旗を奪われ敵軍にその旗を振られて鼓舞に使われたことを生涯自分を許すことが出来ないでいました。
日露戦争、旅順から帰国し明治天皇に報告した際、明治天皇は、「自分が生きてる内は死ぬことは許さない。」と命じました。それが1905年。
1912年に明治天皇が崩御され、大喪の礼が終わった大砲を見届けて、腹を十字に切り裂き自決しました。その顔は笑顔だったそうです。
そして、その前日、遺書を書いていますが、そこには静子夫人の行く末を案じることが記されており、その翌朝、静子夫人がお供することを告げ、乃木さんの切腹を見届けてから静子夫人は心臓を刺したそうです。
これが武士道。世界が賛辞を送る中、なぜ、我々日本人は教えられないのでしょうか?
英米が日本人DNAを怖がっていることは、王立研究所による戦前の記録から分かっているそうです。
それを止められたまま、我々は頓死しなければならないのでしょうか?
我々には、乃木希典のDNAが受け継がれている筈です。
現実を知らされてない、それを知る努力をしない。