人間は幸せになりたいと願っている。
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愛も知らぬまま周囲が望む姿を演じ続けた人間にとって、"幸せ"という言葉は無縁な響きにしか聞こえず、背を向けるべき言葉でしかなかった。
そうするしか生きてこれなかった。
"幸せ"という言葉に対する違和感は半世紀を過ぎても消えない。
自分にとって"幸せ"という言葉は無縁なのだと思うことで、どこか癒されている自分に居心地の良さを覚えるのは何故だろう。
ただ責任を周囲に転嫁しているだけかもしれない。
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誰しも不幸になどなりたくはないが、それでも自分を変えることはできなかった。
望まれる姿を演じることだけが、自らの"幸せ"だと心をすり替え騙し続けていた。
幸せになりたいと願わなければ"幸せ"な人生など無縁のまま幕を降ろすしかない。
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多くの人間は"幸せ"という言葉に憧れを持つ。
しかし"自分は幸せだ"と言える人間がどれほどいるだろう。
人間は自ら願うことと、その行動が乖離(かいり)しているように思うのは間違っているだろうか?
最も理解して欲しい"動機"に自ら背を向けいつも隠し続ける人間。
そして「これでいい、これでよかった」と嘆き呟く。
終焉に「これでよかった」という言葉と「幸せだった」には大きな開きがあると思うのは穿(うが)った見方かもしれない。
しかし「幸せだった」と言える方が確かな"幸せ"があったと言える気がする。
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"幸せ"という言葉の中に、自分以外の"幸せ"も絡まりもつれ合うことは誰しも知っている。
「他人」の"幸せ"を犠牲にしてまで「自ら」の"幸せ"を望むのかという副題が残る。
いや、むしろ主題と言ってもいいかもしれない。
もし「他人」或いは「家族」の"幸せ"のために何かを断念したとしよう。
なるほど美談にも聞こえるが、「これでよかった」になるだろ。
何か弁解じみている。
「幸せだった」と言える人生を送ることが怖かったようにも聞こえる。
「他人」や「家族」と言ったテロップをいつも心の中に流し、いつまでも周囲に不満や責任を転嫁し続けるのかもしれない。
そんな人間に"幸せ"が訪れるとは言い難い。
それが自分だと気付いた時、初めて"幸せ"になりたいと叫びはじめる。
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To be continued
遠い遠い
過去に
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