車は高速道を降り、夕暮れの街に滑り込んでいった。
涼子との何気ない会話。
その微笑に素直に笑顔を返すアキラ。
それは互いの心を穏やかに包む魔法のようなもの。
ただ一人の愛を信じ、守り続け生きてきた涼子。
愛を知らず自らの意志を騙し生きてきたアキラ。
極端に異なる生き方をしてきた二人は今、何を重ね見ようとしているのか。
アキラは自ら無意味だと思える記憶の意味を辿ろうと会社を辞め旅に出た。
斉京システムの社長がアキラの実父だと知っている社長秘書の涼子が、今アキラの旅に同行しているという現実の中で、二人は互いを理解しようとしていた。
なぜ他人を知りたいとアキラは思ったのか。
アキラ自身理解できない感情だった。
他人に心を開くことなど無かった。
しかし、無関心を装う心の中ではいつも何かを求めていたことだけは分っていた。
アキラの口から出た"君を知りたい"という言葉は、その何かを掴もうとする心の声だった。
名前では無く人生そのものを見つめ理解しようとすること。
それは、最も厳しい現実をも突きつける。
しかし、諒子の素直で真っ直ぐな生き方とその言葉にアキラの心は解れ素直な自分を取り戻しつつあった。
互いに、誰一人自分を理解する人間に出会ってこなかった。
人は聞いて欲しいことなどめったに聞いてくれない。
自分が聞いて欲しい言葉は心の奥深くにしまってあるから。
しかし、たった一人でもいい。
自分の人生を見つめていて欲しいと願う互いの心がそうさせたのだろう。
アキラ自身が最も抵抗を示す言葉。
それが"愛"だということを自分で認めることに戸惑いを感じながらも、涼子は真っ直ぐアキラへ言葉を投げ掛ける。
街中を抜け山々の稜線が遠くに見え始めたときアキラが言った。
「宿は向こうに見える橋を渡って右へ曲がり500mほど走り細い道を左に折れ丘を登ったところにあります」
「陽も沈みかけますね」
「以外に時間が掛かった」
「途中で休憩したからですか?」
「いや、そんなことはない」
「今日はもう宿で休んだらどうでしょう?明日アキラさんの実家へ向うようにしては?」
「そうするか。急ぐ旅でもないし」
涼子はアキラの横顔に笑みを向けた。
車は街を抜け橋を渡り、細い道へと入った。
丘を少し昇り宿の駐車場に着いた。
車が一台駐車している他、誰一人歩いている様子も無く宿は静かな佇まいを見せていた。
仲居らしき人影が門の奥から出てくるのが見えた。
やがて二人が乗る車に近寄ってきて言った。
「石川様ですか?」
アキラは涼子の顔を見て
「僕の名前で予約を?」
「はい」
涼子は小さく頷いて舌先を少し出した。
そして小さなバッグを肘に下げ、アキラの半歩後ろを歩き始めた。
アキラは少しキョトンとした目を涼子に向けたが、涼子は微笑むだけだった。
門をくぐり15mほど歩くと
「こちらでございます」
と仲居が言った。
「あれっ?これ。。。離れ一軒家です。。。よね」
とアキラが言うと、仲居が何か話そうとするのを制するように
「ここしか空いてなかったんです。でも、ほら!お部屋は沢山ありますよ。だから別々でちゃんと眠れます」
と涼子が即答した。
「そうなんだ。。。」
アキラは今自分がどんな表情をしているのか分らなかった。
きっと、戸惑いと恥ずかしさのようなものが入り混じっているに違いないと。
涼子は屈託の無い笑顔で、一度来たことがあるかのように手際よく室内に荷物を置き、お茶を入れ始めた。
「どうぞ」
「あっ、ありがとう」
「アキラさん、疲れたでしょ」
「いや」
畳の部屋の奥に大きな窓、その奥にはデッキがあった。
二人は一畳ほどの大きさのテーブルの上に置かれたお茶を飲みながら夕暮れの山河を眺めた。
「やっと来れた」
涼子が呟くように言った。
それを聞いたアキラは
「んっ?。。。」
涼子を見た。
「なんでもありません。独り言です」
涼子の笑顔に煙に巻かれアキラはそれ以上聞くことはしなかった。
今はただこの空間を感じ取ろうとしていた。
陽は稜線に隠れ、温かな灯(あか)りが窓の外に灯(とも)りはじめた。
きっと、人間の知らないところで愛は動かされている。
アキラは、漠然とした感情の在処を掴もうとしていた。
静かな夕暮れは音も無く過ぎようとしていた。
つづく




