背後から近づくハイヒールの音は、雨音に紛れることなくおやじにはっきりと聞こえた。後ろを振り向こうとした。その時、肩を軽く2回ほどポンポンと。
「部長、傘持ってなかったでしょ♪」
そう、裕子だった。優しく微笑みながら傘を差し掛けてくれた。
「えっ、君こっちの方向なの?」
とおやじがそっけなく言った。
(おいおい。。。おやじ。。。いや。。。錬太郎!。。。どうなってるんだ?こんな若い女性が。。。お前に傘を差し掛けてくれるなんて。。。どうする?)
と頭の中から話しかける声がした。どうも、さっきから同じ声がしている。気になりはしているが、今は裕子の差し掛けてくれた傘に隠れるのが先だ。
内心、心が弾むのを感じたが表情は変えなかった。
「近くなら送るよ」
とおやじが言った。すると裕子は
「すぐそばなんです。大丈夫ですよ。ん。。。でも、せっかくだから。。。じゃ。。。お言葉に甘えて。。。少しご一緒させて下さい。本当にすぐに着きますよ♪私の住むマンションは♪」
「じゃ。。。いこっかぁ」
とおやじは裕子の傘の下に入った。
「最近引っ越して来たんです。私も部長が近くだなんて知らなかったし、ビールパーティーの時、話を聞いていて、きっとお近くに住んでいらっしやるんだろうなと思って。先日、駅でお見かけした時は嬉しくなって声を掛けようかとも思いましたが、部長はいつもボーっとして周りを見てないし。あっ、ごめんなさい」
茶目っ気たっぷりの笑みを浮かべながら話し始めた。
おやじは裕子より背が高く、彼女が差し掛ける傘に背中を丸めかがみながら寄り添って歩いた。裕子も辛そうだつたので、おやじは傘の柄を握り
「傘。。。僕が持つよ」
と、その時、傘の柄を握る裕子の手とおやじの手が重なった。
少し遅れて裕子が手をはずし、静かに降る雨の中二人は街灯に照らし出された夜道をゆっくりと歩いていた。雨は二人を優しく包んでいるようにも見えた。
(え。。。おやじ、彼女のマンションの場所まだ聞いてないだろう!おいっ♪送ったらすぐ帰るのか?!)
「うるさいな。誰だよいったい。これは俺の物語なんだから。口出しするなよ。誰だよ、さっきから?」
おやじは頭の中から語り掛ける声に思わず声を出して答えてしまった。
「何かおっしゃいましたか部長?」
と、裕子が首を傾げながらおやじに言った。どうやら、おやじの頭の中にいる声は虫観るチームとは別のようだった。おやじの心の葛藤ではないことだけは確かである。
裕子はおやじの傘を持つ腕にそっと手を添え、進む道を促していた。20分程街灯に照らされた路地を歩いていた。
裕子が急に立ち止まった。
「ここです♪私の住むマンション♪」
「あっ、そうなんだ。。。じゃ、もう遅いからこれで失礼する♪」
(おっ。。。さすが!おやじ。。。いいぞ♪まじめまじめだな!)
「あたりまえだろう!」
と、またおやじが頭の中から聞こえる声に、少し怒ったように声を出し答えた。
すると裕子が
「は・・・っ?部長何か変ですよ?誰かとお話しされてます?」
「いや。あっ、最近独り言が多くなってるのかな?ハハハ」
(そんな訳ないじゃん。。。ハハハって。。。)
おやじは頭の中から聞こえる声に応えなかった。
裕子は、少し不思議そうな顔をしていた。そして、口元から。。。浅いため息が聞こえた。
「どうしたの?」
と、おやじは彼女の顔を覗き込み言った。すると
「今日はご馳走になりました♪とても楽しく過ごせました。また、あそこの赤提灯の暖簾をくぐってもいいですか?」
少しはにかみながら言った。おやじは
「おう、いつでも。僕は週末はほとんどあそこにいるから♪。。。今日は楽しかったよ♪じゃ、おやすみなさい」
(おやじ。。。毎週末いつもあそこにいることにするのか?各週でいいんじゃないの?)
「いいんだよ!うるさいな。。。お前誰だよ!さっきからちょこちょこと。。。静かにしろよ!何度も言うけど、これは俺の物語なんだろう!口を挟むなよ」
(アハッ、ワリイ。。。ワリイ)
おやじは彼女のマンションに後ろ髪を引かれながら来た夜道を戻っていった。
(後ろ髪。。。長くないだろう!最近、髪薄くなってきたんじゃないか?)
「余計なお世話だ!」
あっ、そうだ。。。この傘。。。彼女の。。。まぁ、明日、社で返すことにしよう。
って、今夜どこに帰るんだ?俺?ん。。。
そして、この帰り道。。。頭の中から聞こえる聞きなれない声の主との会話が始まった。
それにしても。。。おやじの頭の中は普通の中年おやじだということを自ら知らされるとは、練太郎。。。創造力無いな。。。おっと、これは誰の声かはナイショにしておきましょう。
つづく