こんにちは、週末お出かけサークル主催者ですニコ

今回は江戸川橋~早稲田まで散策をしました。

経由地である目白台の名所も楽しんで来たので、散策の様子を写真でどうぞ。

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早速ですが、江戸川橋駅近くにある関口フランスパンで食事をしましょう。
関口フランスパンはあとから行く関口教会とも関係がある日本初の本格的フランスパン店。

行列のできる人気店ですがちょうど席が空いていたので、店内で各々好きなパンを食べてもらいました(パンの写真撮り忘れちゃった)。

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明治以降、4代に渡り政治家を輩出している鳩山家。

1924年(大正13年)、当時の当主である鳩山一郎が音羽に建てた洋風の私邸が現在の鳩山会館です。

1Fには現当主であり館長である由紀夫ちゃんの像が設置されています。

強烈な眼力で友愛されそうアセアセ

ステンドグラスも見どころです。

各所に見られる鳩のデザインが面白い。

2Fから庭を望みます。

バラの名所なのですが…なんかもう摘み取られてるような気がショック

今年のバラは早咲きだったからなぁ。

庭にある鳩山一郎像。

バラと洋館の組み合わせ写真が撮れなかったので、代わりにツツジと。

バラが少なかったのは残念でしたが、綺麗な洋館に皆さん喜んでいたようでした。

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カトリック関口教会(東京カテドラル聖マリア大聖堂)は明治時代に設立されたフランス語学校を起源とします。

当時の聖堂は東京大空襲で焼失したことから、1964年(昭和39年)、丹下健三が設計した近代的な現聖堂が完成しました。

銀色の白鳥?
不思議なデザインですが、上から見ると十字架の形となるように設計されています。
ミサの最中だったので、先に外を見学。
教会敷地内にはフランスにある著名なカトリック巡礼地・ルルドの泉を模した泉があります。
ミサの終了後、教会内へ。
教会内には16mの十字架やパイプオルガン、聖人の像などがあり、荘厳で神聖な雰囲気を味わえます。

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目白台から神田川に降りるエリアには江戸時代、肥後細川家の大名屋敷があり、明治以降も細川家の敷地でした。
昭和初期に建てられた細川家の事務所は、現在では細川家所蔵の美術品や歴史資料などを展示する美術館・永青文庫となっています。
展示物はちょっと難しめでしたが、建物のレトロ具合がとても面白かったですニコ
神田川のそばにある水神社。
少し下流には神田川から神田上水に分水される堰(関口大洗堰)があるため、水神社には堰の守護神が祀られています。
境内にあるイチョウは古木ですが、葉を青々と茂らせてまだまだ生命力にあふれています。
松尾芭蕉は俳講師になる前、神田上水の改修工事に携わっており、「龍隠庵(りゅうげあん)」という水番所に住んでいました。
のちに龍隠庵は「関口芭蕉庵」と呼ばれるようになり、現在は池や庭園が再現され、芭蕉の句碑などが立てられています。

肥後細川庭園は、かつては肥後細川家の庭園でしたが、現在は文京区が管理する公園となっています。

傾斜地と湧水を生かした回遊式泉水庭園になっており、往時の大名庭園を偲ぶことができます。

花しょうぶがすでに咲き始めています。

今年は桜、つつじ、バラと全ての花の開花が早いな…。

明治時代に細川家の学問所として建てられ、関東大震災後は一時細川家の仮本邸としても使用されていた松聲閣(しょうせいかく)。

休憩所や集会室として開放されているので、こちらでちょっと休憩をしましょうかね。

喫茶室もあり、緑茶と肥後細川家秘伝のお菓子「加勢以多」のセットを注文。

ちなみに緑茶は砂糖入りなので、ほんのり甘めですにやり

それほど広くもなく、ちょっとした散策にはもってこいの庭園です。

きちんと整備されているので、景色もとても綺麗。

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目白台から早稲田へ。

早稲田大学の近くには奇妙な建物があります…が、訪問日は残念ながら外壁工事中でしたショック

手持ちの写真が見つからなかったので、ストビューから普段の様子をどうぞ。

この奇妙な建物の名はドラード和世陀。

設計を手掛けたのは「日本のガウディ」と称される建築家・梵寿綱(ぼんじゅこう)です。

外壁にはデスマスクや女性の体などが配置され、建物自体が芸術作品のようです。
内部も摩訶不思議な空間となっています。
郵便受けの先には巨大な手がぶら下がっていますアセアセ
中身は普通の集合住宅なので、住民の方の迷惑にならないように静かに撮影させてもらいました。
外観や通路がこれだけヘンテコだと、室内も気になりますな。
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早稲田駅周辺には文豪・夏目漱石ゆかりの地がいくつかあります。
喜久井町にある誕生地の石碑。
夏目漱石は本名を夏目金之助といい、1867年、現在の新宿区の名主の家に生まれました。
大学卒業後は英語教師になるも精神疾患を患い、日常生活や仕事もままならなくなっていたところ、高浜虚子から治療の一環として文章を書くことを勧められ「吾輩は猫である」を執筆。
これが人気を博したことをきっかけに作家としての道を歩み始め、「坊ちゃん」「三四郎」「それから」「こゝろ」などを発表して、漱石は日本を代表する文豪の一人となりました。

漱石山房は、夏目漱石が1907年(明治40年)から死没まで過ごした早稲田南町の自宅でしたが、空襲で焼失。

新宿区は跡地にて漱石山房記念館を開館し、ここでは漱石の紹介や作品の展示が行われているほか、漱石山房の書斎や客間、回廊が再現されています。

館の前には漱石山房にあった樹木や草花が実際に植えられています。
訪問日はザクロの花が綺麗に咲いていました。
裏には「吾輩は猫である」のモデルになった猫(漱石のペット)のお墓もあります。
小説と同じでペットの猫にも名前はなかったそうです。
館内の撮影スポットにて。
文学記念館は内容が難しく感じることも多いですが、みんなと一緒に楽しんできましたイヒ

今回はこれまで。

長時間の散策でしたが気温もほどほどで最後まで楽しく散策できました。

参加された皆さん、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

また次回以降の企画もよろしくお願いしますニコ