今回は東京の名所・上野公園を中心に散策しました。

元々は春に実施予定だった本企画ですが、緊急事態宣言に振り回されて7月になってしまったぜ…えーん

今回は少雨決行とさせてもらい、7月3日&4日にみんなで上野を散策してきました。

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①台東区立 下町風俗資料館

上野公園に入る前に不忍池へ。

水面が見えないほどハスに埋め尽くされているけど、花はまだみたい。

下町風俗資料館は不忍池のほとりにある台東区立の博物館で、主に江戸~昭和の下町文化に関する資料を展示しています。

1階は大正時代の街並みを再現したフロアです。

現代では使わなくなったものなどもたくさん展示されており、古き良き時代の日本を学べます。

2階は体験コーナーや企画展のフロアとなっています。

昔はけん玉で遊べたり、番台に登って写真を撮ることができました。

もちろん、コロナ渦の今は一切体験はできません。

コロナが終わって体験コーナーが復活すれば、また新たに楽しめるかも。

上野に来たついでにまた寄ってみて下さいニコ

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②上野公園

上野公園散策の前に、公園の歴史を簡単に紹介します。
江戸時代、現在の上野公園の全域には徳川将軍家の菩提寺・寛永寺が建っていました(詳しくは後述)。

江戸城が無血開城された時、寛永寺には江戸幕府の治安部隊・彰義隊が展開していましたが、彼らは解散勧告に応じなかったため、明治政府軍との間で戦いが起こりました。

「上野戦争」と呼ばれるこの戦いはわずか1日で終了し、彰義隊は全滅して戦場となった寛永寺は焼け野原になってしまいました(下の写真はwikiから借用)。

この焼け野原跡に作られたのが、皆さんご存じの上野公園というわけですにやり

上野公園と言えば今では桜の名所のイメージになってしまい、その歴史を知っている人は少なさそうショック

今回は上野公園の歴史を勉強しながら、普段行かないようなスポットにもたくさん行きます。

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③西郷隆盛像
明治維新の立役者の一人である西郷隆盛は、その死後は西南戦争を引き起こした国賊として不名誉な扱いを受けていました。
その後、恩赦により西郷の汚名は雪がれ、1898年(明治31年)、「江戸城無血開城で江戸の街を戦火から救った」という功績から西郷とツン(犬)の銅像が建立されました。

東京の人にとって西郷さんはどういうイメージなのかよく分からないけど、鹿児島の人にとっては西郷さんは神のような存在なのだそうです。

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④彰義隊の墓

西郷銅像の裏手に建つ彰義隊の墓。

今では賑やかな上野公園だけど、かつて大勢の人たちが亡くなった戦場だからね…。

ここに来た時にはお墓に手を合わせたり、亡くなった人々に心を寄せたりしてもらえたらと思います。

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⑤天海僧正毛髪塔
上野に寛永寺を建立したのは天台宗の慈眼大師・天海です。

この宝塔は天海の毛髪を納めた納めた宝塔で、1652年に建立されました。
天海は僧でありながら徳川家康の参謀的役割を果たした人物で、その存在には多くの謎が残っています(その正体は明智光秀ではないかという説もあります)。

まぁ、一番の謎は「坊主なのに毛があったんかい…」ということだけどねにやり

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⑥清水観音堂

寛永寺の境内は、天台宗の総本山・延暦寺や京の都を模して作られているのですが、文字で説明しても分かりにくいのでイラストにしてみました。

清水観音堂は1631年に天海が建立したお堂で、京都の清水寺を模して建てられました。

上野戦争でも焼失することなく現存しており、国の重要文化財に指定されています。

江戸時代、舞台からの景色が非常に風光明媚だったので、浮世絵の中にもお堂や桜、月の松(枝を丸くして月に見立てた松)が描かれています(下の浮世絵はwikiから借用)。

かつての月の松は明治初期に失われましたが、2012年に新たな月の松が植樹され、江戸当時の風情を感じることができるようになりました。

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⑦不忍池、不忍池辨天堂
不忍池は上野に古くから存在する池で、天海は不忍池を琵琶湖に見立てて島に辨天堂を建立しました。
現在のお堂は1958年(昭和33年)に建立されたものです。

島内にはたくさんの石碑も設置されているので、ぐるっと一周して見て回りました。

下はスッポン感謝之塔。

元々島では聖天=歓喜天=ガネーシャを祀っていました。

現在でも辨天堂の裏手に聖天堂がひっそりと残っています。

コロナ前、辨天堂前には出店が並んでいたので、みんなで飲み食いしたこともありました。
早くそういう日常が戻るといいなぁ。

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⑧五條天神社

五條天神社は医薬祖神や菅原道真公を祀る神社です。

上野公園のへり部分にあるのでちょっとマイナーですが、とても雰囲気のよい神社です。

春は桜も綺麗だったはず。

境内には花園稲荷神社、穴稲荷などもあります。

雨で濡れた参道って絵になりますなぁ。

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⑨上野大佛

上野大佛は1631年に建立された約6mの釈迦如来坐像で、災害で罹災する度に再建されていました(下の写真はwikiから借用)。


大佛は関東大震災で再び罹災し、頭部が落下して大破。
壊れた大佛は寛永寺にて保管されていましたが、第二次世界大戦が始まると顔面以外は金属供出されてしまいました。

現在、仏殿の跡地には仏塔(パゴダ)が建てられ、残された大佛の顔面も安置されています。

現在では上野公園のパワースポット兼珍スポットとして有名な場所になっています。

顔面だけになった大佛様!

写真を撮りたい人もたくさんいるだろうけど、ちゃんとお参りしてから撮りましょうねにやり

顔面だけになり「これ以上落ちない」ことから、今では合格祈願の大佛様としても知られています。

仏塔の横にある絵馬掛けには、受験生たちの絵馬がたくさん掛かっていました。

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⑩上野東照宮

1616年、危篤となった家康は参謀の天海、重臣の藤堂高虎を枕元に呼び「三人一つ処に末永く魂鎮まるところを作って欲しい」と遺言しました。

天海は家康の遺言に従って寛永寺境内に「東照社」を建立し、これが上野東照宮の始まりとなりました。
現在の社殿は1651年に家光が改築したもので、国の重要文化財に指定されています。

拝観料500円を払って中に入ります。

個人的には500円払う価値はあると思うけど、人によるのかなぁ。

唐門だけ見て帰っていく人用に、唐門の裏側や…

社殿の後ろ側の写真をどうぞ。

社殿の内部も見れたらいいんだけどなぁ、内部を紹介するパネルすらないのは残念。

裏手にある栄誉権現では八百八狸の総帥(悪行狸)を祀っています。

ゲゲゲの鬼太郎で大ナマズと蛟竜を使って日本を征服しようとしたあいつか!

中には確かに似たような狸の像がありましたにやり

僕もここに入るのは数年ぶりだったので久しぶりに楽しめました。

御神木付近が工事中だったので、またいつか見に行ってみたいと思います。

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⑪寛永寺根本中堂跡
根本中堂(こんぽんちゅうどう)は比叡山延暦寺における本堂の呼称です。
寛永寺でもそれにならい根本中堂を現在の大噴水の場所に建てていましたが、上野戦争の際に焼失し、現在は跡地を示す碑が建っているのみです。

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⑫ボードウィン博士像

上野戦争で焼け野原になった寛永寺跡地には医学校と病院が建設されることになりました。
しかし、オランダの軍医・ボードウィンの提案により跡地には公園が作られることになり、1876年(明治9年)、「上野恩賜公園(通称:上野公園)」が開園しました。

上記の経緯によりボードウィンは「上野公園の生みの親」と呼ばれています。

この像に関してはかなり面白い珍エピソードがあるんだけれど、それは参加してくれた方のみで!(書いてもいいんだけど長いんだ…)

個人的には今回の企画で一番お気に入りの場所でありますイヒ

【後半へ続く】