令和7年(2025年)3月12日㈬

雨の降る朝、羽田空港第2ターミナルへ



ANA511   東京(羽田)745発 岡山行き

に搭乗

 

岡山空港視界不良のため、天候調査の結果、条件付きの運航。
 岡山空港に着陸出来ない場合は大阪/伊丹空港に向かう可能性もあり
 
どのことでしたが

岡山空港に着席、定時905着

岡山空港からバスに乗り

岡山駅へ、

吉備線に乗り服部へ

ここは岡山県総社市
服部駅から6km

日本100名城に選定されている鬼ノ城へ向かいます。

※鬼ノ城(きのじょう)

岡山県総社市の、標高397メートルの鬼城山の(きのじょうざん)に山頂付近に築かれた、古代山城(神籠石式山城)。廃城であるが、城壁や西門などが復元されている。
JR西日本吉備線服部駅から約5キロメートル。であるが、自家用車以外のアクセスでは、岡山県観光連盟は総社駅からのタクシー利用(所要時間30分程度)を勧めている。

wikipediaより

とクルマで行くのが一般的ですが
敢えて歩いて行きます。タクシー利用だと3000円以上とのこと



つらい坂道でした。途中何度もクルマに追い越され


やはり歩いて向かう人は少ない
服部駅から1時間30分、ようやく鬼ノ城ビジターセンターに到着

鬼ノ城ビジターセンターに設置されている日本100名城スタンプを押しました。

復元された西門





坂道を下り、再び歩くこと6km、往復12km


服部駅へ

吉備線に乗り岡山へ.

午後4時過ぎ
桃太郎大通りを歩き



岡山城へ、3年ぶりに天守閣に入城

岡山城天守閣の開館時間は17時30分まで(入城は17時まで)


御城印2種類と

城カードを購入

日が暮れた岡山駅

今日は岡山駅近くに宿泊



重要文化財 佐賀城 鯱の門 

2004年(平成16年)に木造復元された本丸御殿は佐賀県立佐賀城本丸歴史館として公開。開館時間の9時30分を待って入館。


佐賀県立佐賀城本丸歴史館に設置されている日本100名城スタンプを押して

御城印2種類と

城カードを購入

佐賀城跡を見たあとは佐賀駅へ向かいます。途中には洋館が

※佐賀城公園レトロ館(旧佐賀県警察部庁舎) 

佐賀県警察部の旧庁舎はアーチ型の窓を有する明治期の洋風建物で、移築の上現在も利用されている。佐賀市城内2丁目の城内通り沿いにある、地元産品を用いたレストラン・物産館「さがレトロ館」である。警察部の庁舎としては、現在の佐賀県庁付近に1887年(明治20年)建てられ、1936年(昭和11年)の庁舎改築の際に移築された。その後は佐賀県蚕糸取締所、佐賀地方経済調査庁、佐賀県視聴覚ライブラリー等、県や国の機関の建物として次々と使用されてきた。2009年(平成21年)に修復され「さがレトロ館」となった。

wikipediaより引用
しかし近寄って見ると入口は閉ざされて長らく営業している気配はない。

後ほど調べたところ、2年前に閉店したようです。

佐賀城公園から佐賀駅方面へ歩くこと1km、佐嘉神社にお参り

佐嘉神社


佐賀藩10代藩主鍋島直正と11代藩主鍋島直大を祀る。
江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。
 直正の歿後の明治6年(1873年)、直正の威徳を賛え、鍋島家の祖先を祀る松原神社に南殿を造営し、直正を祀った。
昭和4年(1929年)、直正を祀る別格官幣社・佐嘉神社の創建が決定した。
昭和8年(1933年)に現在地に社殿を造営し、松原神社の直正の霊を遷座した。
昭和23年(1948年)、松原神社南殿に祀られていた直大の霊を佐嘉神社に合祀した。 
松原神社は別の神社として運営されていたが、昭和36年に佐嘉神社と運営を一本化した。

wikipediaより引用
境内には大砲が展示

佐賀藩鋳造鉄製150ボンド砲(復元)





佐嘉神社拝殿

佐嘉神社敷地内には佐嘉神社の他に7つの神社があり、「八社詣巡り」をすると大願が叶えるといわれています。

画像は松根社


松原神社


松原神社

 安永元年(1772年)、鍋島家の始祖鍋島直茂を祀る神社として創建され、直茂の法号から日峯(にっぽう)大明神(日峯宮)と称した。 文化14年(1817年)に直茂の祖父・清久、直茂の正室・彦鶴姫を合祀した。
明治5年、初代藩主・勝茂を合祀し、「松原神社」に改称した。 明治6年(1873年)、元からあった本殿の北と南に新たに神殿を造営し、南殿に10代藩主鍋島直正を、北殿に鍋島氏以前に佐賀を治めていた龍造寺家の隆信・政家・高房を祀った。元からあった本殿は、これ以降「中殿」と称されるようになった。大正12年(1912年)、南殿に、2年前に歿した11代藩主鍋島直大を合祀した。 昭和8年に佐嘉神社が造営され、南殿の鍋島直正の霊を遷座した。昭和23年、南殿の鍋島直大の霊も佐嘉神社に遷座し、南殿は廃止された。昭和38年、松原神社本殿を改築し、中殿・北殿を一つにした。

wikipediaより引用
松原神社拝殿

佐嘉神社授与所にて佐嘉神社と松原神社の御朱印を頂きました。

佐嘉神社の隣接する徴古館

※徴古館

佐賀藩の藩校弘道館の跡地として、鍋島家12代当主鍋島直映の意思を基づき、1927年(昭和2年)に竣工。佐賀県初の博物館となる。鍋島家所蔵資料を中心とした博物館だけでなく、図書館を補完しすることに目的した。1940年以降は鍋島家により設立した財団法人鍋島報效会が運営した。 1945年(昭和20年)に佐賀連隊区司令部による接収などを経て、1955年(昭和30年)に佐賀県文化館として再開したが、1970年(昭和45年)に展示公開を休止。 20年以上の時を経て、1997年(平成9年)に国の登録有形文化財登録された。1998年(平成10年)6月に博物館として再開。2021年(令和3年)10月27日に「22世紀に残す佐賀県遺産」に認定[4]。 収蔵品の中で「催馬楽譜」が唯一国宝として指定されている。

「徴古館 展示室」は展覧会期間中のみ公開

開館時間  9:30~16:00(入場は15:40まで) 
休館日:月曜(祝日の場合は翌火曜)  料金 300円(中学生以下無料)

wikipediaより引用
徴古館には入館せず、次の機会に

徴古館は登録有形文化財

佐賀市内には武家屋敷の門



佐賀市役所前に保存展示されている蒸気機関車

D51 206

を5年ぶりに撮影

佐賀駅へ

乗車するのは下り長崎本線・唐津線直通

5833D   佐賀1221発 普通 西唐津行き


令和6年(2024年)11月21日㈭


「令和6年11月中旬の旅」2日目の朝は佐賀県佐賀市から。


宿泊したビジネスホテルサンシティ1号館の部屋からの眺め、左に見える高架はJR佐賀駅北口。

※この記事の続きです。

8時30分過ぎにビジネスホテルサンシティ1号館をチェックアウト

天気は曇り空

JR佐賀駅北口へ、駅構内を通り抜け


南口へ、駅前に建つ像は


「面浮立」
1980年に寄贈された佐賀県を代表する民俗芸能の「面浮立」の銅像。合戦・豊作や神事的な踊りを伝承する。

これから向かう佐賀城跡は佐賀駅から約2km先。

アクセス案内ではバス利用を進めていますが
歩いて向かいます。

佐賀駅南口に建つ像

名将・鍋島直政と直政を支えた賢人たち

左から、古賀穀堂・鍋島直政・鍋島茂義像 
古賀 穀堂(1778- 1836) 朱子学者・(1830年)、直正が藩主在任中の年寄相談役に任じられ、佐賀藩内の教育改革が実施。

鍋島 直正(1815- 1871) 幕末の肥前佐賀藩10代藩主で、維新後に軍防事務局輔、開拓長官、大納言などを歴任。

鍋島 茂義(1800‐1863)  武雄鍋島家9代当主。28代佐賀藩自治領武雄領主。高島秋帆に弟子入りして西洋式砲術や科学技術を究め、幕末期の佐賀藩の高度な軍事力・技術力開発のさきがけとなった。
オフィスビルが立ち並ぶ「中央大通り」を歩きます。佐賀は車社会なのか通勤通学時間帯でも歩いている人は少ない。

その途中の広場にも多くの像が

弘道館で学んだ若き日の賢人たち




大隈重信(左)、副島種臣(右)


大隈 重信(1838- 1922) 幕末佐賀藩の上士の家に生まれて志士として活躍し、明治維新期に外交などで手腕をふるったことで中央政府の首脳となり、参議兼大蔵卿を勤めるなど明治政府の最高首脳の一人にのぼり、明治初期の外交・財政・経済に大きな影響を及ぼした。

副島 種臣(1828- 1905) ・弘道館教諭を経て、尊王攘夷運動に奔走。明治維新後に参与・制度事務局判事となり、福岡孝弟と共に「政体書」を起草。
江藤新平(左)、大木喬任(右)

江藤新平 (1834 - 1874) 佐賀藩士、東征大総督府軍監、徴士、制度取調専務、左院副議長(初代)、文部大輔(初代)、司法卿(初代)、参議を歴任したが、明治六年の政変で下野。佐賀の乱の首謀者として処刑された。 立法・行政・司法がそれぞれ独立する「三権分立」を推進し、日本近代司法体制の生みの親として「近代日本司法制度の父」と称される。また、司法制度・学制・警察制度の推進と共に「四民平等」を説き浸透させた。

大木 喬任(1832- 1899)  佐賀藩士、維新後徴士、参与、軍務官判事、東京府知事などを務めた。江戸を東京とすること(東京奠都)に尽力した。1871年(明治4年)に民部卿、文部卿として学制を制定。1872年(明治5年)に教部卿を兼任。
枝吉神陽(左)、島義勇(中央)、佐野常民(右)

枝吉 神陽(1822 - 1862) 佐賀藩の思想家、教育者、国学者。藩校弘道館の教諭。外務卿、内務大臣を務めた副島種臣は実弟。佐賀の尊皇派の中心的存在。 

島義勇島(1822 - 1874) 佐賀藩士、明治政府官吏。札幌市の建設に着手し、「北海道開拓の父」と呼ばれる。佐賀の七賢人の一人。江藤新平と共に佐賀の乱を起こし刑死した。

佐野 常民(1823- 1902)

佐賀藩士、維新後は枢密顧問官、農商務大臣、大蔵卿、元老院議長。日本赤十字社の創始者。「佐賀の七賢人」の1人。

ひたすら平坦な道を歩きます。

「中央通り」沿いにも2体の像

日本の工学・科学分野の先駆者

志田林三郎(右)、黒田チカ(左)

志田 林三郎(1856 - 1892年) 物理学者・電気工学者。佐賀県小城郡東多久村(現在の多久市、当時佐賀藩)生まれ。工学博士、電気学会創設者。

黒田 チカ(1884- 1968) 化学者。理学博士(1929年)(保井コノに続く女性理学博士第2号)。お茶の水女子大学名誉教授。佐賀県佐賀郡松原町(現・佐賀市松原)生まれ。植物色素の構造決定を行ったことで知られる。天然色素に関する黒田の研究は、2013年3月に日本化学会がその関連資料を化学遺産に認定。 日本初の女子帝国大学生の1人としても知られる。
アーケードの商店街は白山名店街

残念ながらシャッター通りでした。



佐賀駅から1.4km

佐賀バルーンミュージアム

佐賀県佐賀市松原にある熱気球をテーマにした日本国内初の常設博物館、2016年開館。

開館時間    午前10時00分から午後5時

休館日   毎週月曜日

 観覧料 編集 大人:500円
まだ開館時間前です。入口前にはデザインマンホールが展示



バルーンミュージアム内にある佐賀工房バルーンミュージアム店ではマンホールカードを配布、佐賀城を見た後に頂きました。

佐賀城の北堀が見えてきました。


佐賀市の県庁前佐賀城跡北堀に架かる「くすの栄橋」を渡ります。










佐賀県立図書館の前を通り過ぎます。このあたりは佐賀城二の丸跡、佐賀城本丸跡は600m先。

このような道を歩き



ようやく佐賀城本丸跡が見えてきました。



佐賀城本丸跡の向かいにはある佐賀県立美術館には小さな洋館が設置

岡田三郎アトリエの文字

※岡田三郎助アトリエ

岡田 三郎助(1869 - 1939)は明治から昭和にかけて活躍した近代洋画家、版画家である。現在の佐賀県佐賀市八幡小路生まれ。佐賀県立美術館に常設展示室がある。
建物は岡田三郎助が設けたアトリエ・応接室と「女子洋画研究所」を2018年に移築したもの。明治終わりから大正に建てられた木造洋風建築。アトリエと女子洋画研究所は撮影やイベント等での貸し出しを行っている。


佐賀城本丸歴史館へ向かいます。







佐賀城跡で撮影した画像はコチラ