『虚数の情緒』 は、最近、トイレにおいてある。毎朝、パッと開いたページを読むようにしている。

偶然開いたページの内容で一日のウンを占う、というのは冗談だが、1.3キロもある本の読み方の実験。

今日開いたのは136頁。数学にも「音読」(正確には詠唱)の効用ありという内容だった。

最近、英語の学習法で「音読」が見直されているらしい。数学にそれはないだろう。どうなのだろう、とちょうどど気になっていたところだった(今日は快調である)。

「湯川の素読」「シュリーマンの暗誦」「ラマヌジャンの詠唱」

とある。

wikipediaによれば、

「シュリニヴァーサ・ラマヌジャン(Srinivasa Aiyangar Ramanujan、1887年12月22日 - 1920年4月26日)はインドの魔術師の異名をとる天才数学者。」


インドには古くから、国語はもちろん、数学・理科・社会の詠唱用の教科書があったということだ。

日本でも九九は詠唱して覚えるが。


ラマヌジャンの仕事と詠唱の関係は藤原正彦著『心は孤独な数学者』に詳しいそうである。


藤原 正彦
心は孤独な数学者

蛙の子は蛙、職人の子は職人、農民の子は農民のほうがまだしもで、負け組の子は負け組なんて言い方もされているようで、これはいかんなと。


「負け組の子供は負け組」。こういう言い草を平気で広めてしまった元凶は、どうやらこの本『希望格差社会』であるらしい。


一人の努力では、どうにも動かせない構造的な問題によって、制度がどうにも機能しなくてしまっている事実はある。経済(所得)格差が広がっているのも事実だろう。
しかし、そのことを心理学の問題に丸め込むとどういうことになるか?
「努力しても無駄」というアパシイが広がる。この本は(意図してかせずしてかは不問に付すが)、とにかく煽っていることに間違いはない、アパシイを。

処方箋はキリスト教精神? 冗談も休み休み言え!


とりあえずそういう意識を煽ってるやつは誰だとちょっと調べるとやっぱりこれが経済学者、社会学者の評論家先生たちだったというわけ。方向と時代の陰影は全く逆ながら、バブルを煽ったのが、やっぱり経済学者を名乗る評論家先生たちであったなと。けっこうやばいとこに来てますよ(あなたたちの仕事が、だ)。
それにもってってヒッキーだの、ニートだのなんでもかんでもごった煮で観念連鎖を作りあげ、「オルレアンのウワサ」を、あれはウワサだよ、それが伝播する心理的メカニズムはこうだよって、そっちへ向けて論証するために、学術のハードやツールやソフトを駆使するのが社会学者ってものであるだろうに。

この学芸大の先生は、真っ向正反対なことをやってくれている。


単純化して言うが、この駄本のメッセージは、
「努力しても無駄」
これに尽きる。


どうやら「新・努力論」が必要となってきたようだ。

アメリカ合理主義の研究と
幸田露伴の努力論と、
からめてで。


右肩上がりの経済が終わったから努力を放棄せよだ?
人はそんなもんのためだけに努力をするわけではない。
一円のカネにもならず、結果野垂れ死にするほかなかった画家の作品の、
それを完成させようと絵筆を持ち続けることも、立派な努力ではないのか?


幸田 露伴
努力論

最近の格差社会論がまったく見るに値しないのは、なぜ格差が広がった(ように見える)かを不問に附しているからだ。そこをまるで「格差という妖怪」が世の中を徘徊しているとでも言うように、暗黙の前提としてモノを言ってるものばかりだから実に噴飯モノである。


たとえば収入の格差は計量できる。広がった要因の一端も見やすいはず。一つに社長の給料の決め方が以前と変わり始めたことがあげられる。役員報酬もそうだろう。これは企業規模の大小を問わない。

「創業者利益」などの言葉を思い出せばとりあえずは十分だ。極論すれば、株の値段と連動して取り分が決まる。もう一つは能力主義だろう。就労年数は給料の上昇に直結しなくなった。かつては一般社員の給料もトップの給料も、労働組合との交渉に準じて一律に増減した。少なくとも表向きは。

これらの効果が及ぶ範囲内にいるかどうかが、格差を付けられる側に位置するか、付ける側に位置するかの分かれ目である。

これは明らかに誰にでも客観的に見て取ることのできる「制度」の問題である。

あれやこれやと余計な造語をして印税を稼ぐ前に、まずきっちり「制度」を晒してみてはどうか。

なぜ、それができないのか、不思議で仕方がない。

然るのちに、かのベンサムのように、「快楽と苦痛の計算」に挑んでみてはいかがなものか。

制度も問えない頓馬が、意識をいじくる愚行を止めない限り、できちゃった事実を追認してはああだこうだこねくり回して駄賃を稼ぐ、口舌の徒ばかりが肥え太る。そんなことはちょっと小器用なやつなら誰にだってできるのだ。だが、そんな三文芝居を、本心から求めている者など一人もいない。


金持ち父さんに始まり、勝ち組、負け組、下流に至るまで、狼になれ、豚になるな、で終わりである。


小林 里次
J.ベンサム研究―改革論、そのエコノミカル・ポリティーの哲学と技術
永井 義雄
自由と調和を求めて―ベンサム時代の政治・経済思想

大いに浅読みにさらされて、誤読されてきた感のある、このイギリス産業革命下の混乱期を生きた、ヘンな法律家の時代が、いまに酷似しているように思えてきた。つまりは、意識までいじくるにも、けっこうベンサムの仕事が、いまにも役だってくれるのではないかという山勘だ。

そろそろ重い腰をあげようかと思う。

アーカイブされたバックナンバーは最も古いもので2000年5月なのだが、カウンターはようやく292を指している。発刊の辞を見てもソ連崩壊云々などとあるので、おそらく2000年から続いているサイトであろう。カウントはリニューアル後のものかもしれないが、そうでなくても納得してしまいそうな鬱蒼としたそのサイトの名は「たこつぼ通信」  。そこで「酔生夢死」についてのエッセイを見つけた。


『程子語録』を出典するとされるこの四字熟語、「有意義なことを一つもせず、むだに一生を終えること」とほとんどすべての辞書にある。が、このエッセイは、前後の句を丁寧に引用していた。


「雖高才明智、膠於見聞、酔生夢死、不自覚也」。


なかなか解釈は難しいところかもしれない。が、現象学的還元を免れた日常世界にむしろ一所懸命生きることこそが酔生夢死なのではないかと思わせる。
話は二重である。しかしここではこれ以上は止すことにする。
なんのために舌戦を避けてここに落ち着いたのか。
で最後をこのエッセイはこう結ぶのである。


 最後に、柳田國男の「山の人生」に出てくる話を紹介して終わりにしよう。
「世間のひどく不景気であった年に、西美濃の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで、鉞(まさかり)できり殺したことがあった。女房はとくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情であったか、同じ歳くらいの小娘を貰ってきて、山の炭焼小屋で一緒に育てていた。何としても炭は売れず、何度里へ降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。最後の日も空手で戻ってきて、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった。目がさめて見ると、小屋の口一ぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。二人の子供がその日当たりの所にしゃがんで、頻りに何かしているので、そばへ行ってみたら一生懸命に仕事で使う大きな斧を磨いていた。おとう、これでわしたちを殺してくれと言ったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落としてしまった。それで自分は死ぬことが出来なくて、やがて捕らえられて牢に入れられた。この親爺がもう六十近くなってから、特赦を受けて世の中へ出てきたのである。多分はどこかの村のすみに、まだ抜け殻のような存在を続けていることであろう。」

 ここには、「損」か「得」か、などということとは全く無縁な「人生の真相」がある。

と。


柳田 国男
遠野物語・山の人生

ここまで、現象学と現象学的還元という方法とをあえて混同してきた。


現象学は「現象を記述する」、現象学的記述に徹する、方法である。これはごく一般的な意味で。
この場合、「歴史的思考の現象学」は、歴史的思考というものが存在すること自体に疑いを差し挟むことはない。
「茶は鎌倉で利休は戦国」は、歴史的思考の例であって、同時にその記述の試みの断片である。


しかし、現象学的還元となると話は違ってくる。
たとえば「日本の太平洋戦争の歴史は犯罪的な過ちに満ちたものである」という言説に対して、ちょっと待てその歴史ってなんだ? そんなものそもそも存在するのか、と半畳を入れる意識に伴われている。事実、そこに犯罪的な過ちがあるかどうかといったことは、まずは問題にならない。
「歴史」というもの自体が、そもそも成立しているのかどうかについて判断を停止するのだから、これは最初の意味での「歴史的思考の現象学」とは似ても似つかない。


土台、御本家フッサールにおいて「還元」は、こんなことの方法には使われていないと思われる。
それは認識批判(限界の見定め)であって、のちにカントの認識論を越えていないとその限界を指摘されたりもするところである。そういう認識の成り立ちを問うような、自己言及のループにはまるに決っている作業をするつもりなど毛頭ない。
さらに「歴史」という言葉にまつわるこうした問題意識については、すでに「共同幻想」という比較的安定な概念装置を吉本隆明がこさえてくれていた。


注視したいのは、この「共同性」の濃度はそれこそ時代によって移ろうということであり、ここ数年見られる「歴史」という語にまつわる現象としては、「共同性という共同幻想」がやけに濃くなっているように思われることだ。いや、そのように「歴史」という語がいま濫用されている、と言ったほうが正確だろう。


歴史は存在する。歴史に名を借りた言説も存在する。そして、歴史的思考も存在する。


とりあえずの結論。
たとえば、今度の石原都知事の「南京事件」に関する米国での発言を「歴史的認識が誤っている」などと言ってはならないということ。正しいかどうかを問う必要もない。物量的に可能だったか、不可能だったかも問う必要はない(おそらくあれは都知事の言が事実に近いのだろうと思われるがしかし)。「史実」であるかどうかを問う必要がない。それはそうしたリップサービスによって現実にしようと考えられている政策の方向、価値の問題としてあげつらうべきであって、「歴史の問題」とすべきではないということだ。


そもそもがあれは、中国や韓国が「歴史」という言葉を切り出したときの対応で、すでに舌戦に負けている。
まんまオウム返しにうけちゃっているからである。
「戦争犯罪」というわけのわからん言葉もそう。A級戦犯が祭られているからって、そりゃ平将門、菅公の昔から、祟りそうな霊こそを日本人は祭り鎮魂してきたのだ、と言ってみても、戊辰戦争云々しても遅い。

ムダである。

日ごろからわれわれ日本人に、御霊への歴史的思考が生きて動いていたりすればまだしも、「歴史」という言葉で啖呵を切られて大慌てでなんだかんだ持ち出してみたところで、この喧嘩は、はなから負けているのである。
そう日本人は日本を知らない。だからと言って、啖呵切られてあわててほじくりだすものは、係争のための「資料」であって「史料」ではあるまい。東京裁判に遡ってもらおうではないか。日本人の日本への無知が加速し始めた記念すべき係争に遡行してもらおう。


だから、慌てるな。負け癖は繰り返されるものだから。
歴史的思考であってなおかつ、有象無象のクレイマーを黙らせるに足るような弁舌に達するのは、そうたやすいことではない。


なんだか、とても貧しい結論になった。ことほどさように、「歴史」と言う語はいま「歴史的思考」とは程遠いところにある。


吉本 隆明
柳田国男論・丸山真男論

というよりも「国家と戦争」と主題化したほうがいいのかもしれない。


ともあれ歴史的思考の現象学と言っているのは、「歴史」というものに向き合う際の、一つの方法「現象学的還元」を指している。


もうひとつ、意識を構成する拘束条件の問題がある。


いきなり飛ぶが、「氏より育ち」というが、「氏素性」というときの「氏」は家系図などに代表される「家の歴史(物語)」である。この意味での氏(うじ)を、かっちりもつ人は、ある意味で生きやすく、窮屈であることがあるかもしれないが、「迷い」にくい存在でいられるだろう(もちろんこれは想定される人物の理念型に過ぎないが)。


その意味では歴史とは意識の拘束条件でもある。妙な揺らぎに翻弄されることなく、つねに前を向いて、「前進」するための装置ともいうべきもの。
こうした装置が国を挙げて求められることがあるのは近代の特徴の一つと言ってよいだろう(江戸が懐かしい。いや水戸の国史の逆上をよくよく受け止めるべきだろう)。


さらに飛ぶ。
日刊の新聞の成立の影響も無視できない。
直接か間接かはおき、本来ジャーナリズムJournalism(日々主義)とは、歴史主義と対をなすものではないか。その日々主義が、国家の歴史を謳うプロバガンダのメディアとしても使われていった。


これらを一端は、現象学的還元の対象として回付することで、何に向かおうというのか。


喧嘩に強くなることである(笑)。
いや日和下駄である(笑)。


冗談はさておき、ここ数年の、特にアジア史(中国、韓国に限られていると言っていいが)への意識の高まりを、プチ右傾化などと命名して捉えないほうがいい。
何かの兆候であるのは確かだが、右も左も真っ暗闇な場所から出発したほうがよさそうだ。そのためには、「反動」、「右傾化」などの小政治的言辞はまずもって邪魔である。


近未来戦争シミュレーションものがなぜ、いま「文学」賞なのか? これは小政治的言辞「以下の」噴飯物な話であることに、なぜ気づかないのか。


現象学(的還元)のおさらいには次の2冊がいいらしい。


竹田 青嗣
現象学入門
竹田 青嗣
はじめての現象学

講談社、最近狂ってないか?
『半島を出よ』が野間文芸賞?
ジョーダンも休み休み言ってほしいものだが。


そろそろお受験の試験問題にも出題されるかと噂の内田樹も5月の日記で 「面白い」と書いていたな。

どこが、とは書いてはいないのではあるが。


満を持して、近々一戦交えることに。


野間文芸賞、村上龍氏の「半島を出よ」に決まる

2005年11月07日18時51分

 第58回野間文芸賞(野間文化財団主催)は7日、村上龍氏の「半島を出よ」(幻冬舎)に決まった。副賞300万円。また、第27回野間文芸新人賞は青木淳悟氏の「四十日と四十夜のメルヘン」(新潮社)と平田俊子氏の「二人乗り」(講談社)が選ばれた。副賞各100万円。第43回野間児童文芸賞は吉橋通夫氏の「なまくら」(講談社)で、副賞200万円。

 贈呈式は12月16日午後6時から、東京・内幸町の帝国ホテルで。 (朝日新聞)


講談社初代社長、野間清治の遺志で設立された財団法人野間文化財団が、1941年から設けた文学賞で、野間宏とは縁もゆかりもないのではあるが、同姓で連想されるのが燃料であったりもする。

特に小説作品だけを対象にしていないところは嫌いではないのだが。その分、玉石混淆であるとも言える。
好きなところで小林秀雄『近代絵画』、中山義秀『咲庵』、高見順『死の淵より』、大岡昇平『中原中也』、吉行淳之介『夕暮まで』、 佐々木基一『私のチェーホフ』、島尾敏雄『魚雷艇学生』、秋山駿『信長』などなどあるが、98年以降みるべきものはないし、ノーベル賞が二人ほどかぶっているのが不気味でもあるので、その延長と思えば語るに落ちるのではあるが。

ポストモダニズムと言われかねない少々乱暴な先のエントリ について。
「市井の歴史学者」とお呼びしていいのだろうか、KAWANISHIさんにお答えするつもりで書いておこう。

氏も属しておられるらしい会のサイトに入ってみた。「歴史学的な価値云々」を言えるような立場に無論ないが、「読ませる」古代論がならんでいる。


いやそのように、「歴史学的な価値云々」という意識自体が、すでに歴史学の問題の一つでもあるのだろうが、これは学問の「社会学」として他の分野でも、つとに言われてきたことでもあった。
学術誌への論文の投稿、そして掲載の日時によって「発見者」は決まる。時代のパラダイムは誌の編集長に大きく左右されるといった議論だ。『数学の社会学』という面白い本もあった(翻訳がめっぽう硬いのが玉に瑕)。「歴史」はこういうこと自体も呑み込んでしまうからとてつもない。

「読み」「聞く」とは何かの本質に自覚的であろうとするKAWANISHIさんの言に触発されて、「歴史(学)的思考」の現象学は可能ではないか、ということに思いを馳せている。
言い伝え、語り伝え、語り聞き、伝承の現象学は可能だろう。
考えて見ればこれは、柳田や折口の「民俗学」が、周到な方法論をもって仕事としてきたことではなかったか。歴史学と民俗学は、どこでどう袂を分かつのか。
民俗学的方法に近い手法で、目覚ましい成果を見せたと、素人めにも思われたアナール学派の仕事はどうなったのだろうか。

いったん乗ってしまった近代国家という電車、走り始めた電車から降りて物を言うわけにはいかないのかもしれない。

ともあれ、

“ここからさらに問われる「歴史とは何か」、という問いがもし成立するとすれば、それが歴史である。”

D.ブルア, 佐々木 力, 古川 安
数学の社会学―知識と社会表象
ロベール・ミュシャンブレッド, 石井 洋二郎
近代人の誕生―フランス民衆社会と習俗の文明化

「これと一緒にずっといたい」などと思い、思いだけでいっぱいで、しばしたたずんでいたりするとき、その者とは、そう思う者でしかない。そう思う者以外の何者、何物でもありえないのである。


「これ」とは、飼い猫だったり、赤ん坊だったり、あるいは絵姿女房だったりするだろう。


何が言いたいのか、やはり「歴史とは虚構ではないか」ということである。


おぎゃあとうまれて仔猫のときからその猫を飼い続けていれば、そこにはそれなりの「歴史」がある。そう使える言葉としての「歴史」は存在するが。
それは育児ならぬ育猫日記をつければ、それが歴史書。


しかし、そこには「時間」の痕跡、時系列、継起、継起したさまざま事件、トピックスはあるが歴史はない。という意味で。


「読むこと」「聞くこと」なしに歴史はない。それ以上に、いやそうであればこそ、人はなぜ読み、聞くのか。

そこにはもはや、歴史と虚構の間の価値序列はない。
(ここで虚構とは、ウソの意味を持たない。「仮構」と言ってもいいか)。


ここからさらに問われる「歴史とは何か」、という問いがもし成立するとすれば、それが歴史である。

「歴史学の方法に関係しそうな人たち。」 というタイトルで国内外の人物をアルファベット順に列挙し、それぞれが作り出した鍵概念や、キーフレーズを簡潔にまとめたサイトを見つけた。

「歴史学 方法」という語で検索したなかで、一番充実したページがここだった。

ほかは「歴史学」、「方法」の語をタイトルに含む著作、マックス・ウェーバーの『歴史学の方法』、弘文堂の『歴史学事典6 歴史学の方法』などが上位10位までを占める。トップの弘文堂の本(1998年に出ている)の解説表題は「歴史学における「方法の復権」!」。「歴史学の方法に関係しそうな人たち。」は、検索結果の12番目に出てくる。


「歴史学の方法に関係しそうな人たち。」。このリストは半端ではない。リストアップされた人物は百四十数人。


ちなみに、400人の執筆者による811項目が記載されているという『歴史学事典』は、6巻のタイトルに対応していそうな項目は全体の3分の1、多く見積もっても200を越えないと思われる。


「理論と概念:アナール派  オリエンタリズム  共同体  近代化論  皇国史観  構造主義  システム  時代区分  市民社会  終末史観  循環史観  史料  進歩史観  世界システム論  文明と文化  マルクス主義歴史学  唯物史観  歴史学
●論争:日本資本主義論争  明治維新論争  邪馬台国論争
●歴史学の歴史:アラブ・イスラム世界の歴史学  キリスト教世界の歴史学  中国の歴史学  日本の歴史学  ヨーロッパ近代世界の歴史学 」


もちろん記述量は、かなわないはずだが、「関係しそうな」のほうが「方法」を問うには、その見取り図として上出来に思える。上に貼り付けた弘文堂の収録項目のおそらく「構造主義」に吸収されているのかもしれないが、「物語学」関連の人物が丁寧にリストアップされていること、また、テクスト、記述することの意味や語ることの意味を、古代史に向き合う上で、きちんと把握したいという意志からだろう、言語行為論のジョン・R・サールやスペルベル & ウィルソンまであがっている。


ヘーゲル、ニーチェ、津田左右吉から石上英一まで、歴史学者とされた人物、比較的「歴史学」に近い人物から、社会学、意味論、言語学、論理学、発達心理学、精神分析学、生物学などなどまで、いわゆる「分野」は越えてしまっている。だが、逸脱はない。いわば厳密な横超であり、「歴史の方法に関連」する域内に収まっている。


このリストの作者は、アマチュアの古代史研究家の方のようだ(勝手な憶測をお詫びします)。

こういうリストの威力を、もっと然るべき筋が評価して、共同で展開していく努力をすれば、と思ったりする。


作者は、カルロス・ギンズブルグの項で、

ポストモダン歴史学とナチズム
言語派=ポストモダン歴史学の立場を推し進め、歴史史料のテクストの「真実」と「虚構」の対立を解体する試みを推し進めていくと、結果的には、歴史の物語化、美学化を政治的に利用するナチズムと却って親和的なロジックを構成してしまう、という批判。」と要約、カルロス・ギンズブルグの、実証主義を回避すると同時に歴史を物語(フィクション)と同一視する相対主義をも拒否する戦略を簡潔に示してくれている。


要約、引用、コメントからなるこのリスト、そのポテンシャルはかなり高い。

なんと、テッド・ネルソンまで入っている!


98年刊の弘文堂の事典も気になるので、リンクしておこう。


黒田 日出男
歴史学事典〈第12巻〉王と国家


6巻は絶版らしく、Amazonでは見あたらなかった。高価でもあるし。

歴史学における「方法の復権」!は、いまも、いやいまこそ、という気もするのだが。

しかし、項目しか見られないので、なんとも言えない。