数学嫌いの原因16分類…東京理科大芳沢教授 : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20060412ur02.htm
この記事タイトルはとても興味深いものがある。しかし読んでみると、少々期待を裏切られる。
タイトルの「16分類」は明示されていないからだ。記者の取材記事だから、なのだろう。
日本数学教育学界誌に全文があると書かれているので、サイトに入ってみたが見つからない。
印刷物を手に入れるしかないのだろう。
要点のみ、上の記事から引用しておこう。
「比に関する誤り」、「『すべての~』と『ある~』の用法」、「説明文や問題文の意味の理解」
と16のうちの3つだけ簡単な説明がされている。
「比に関する誤り」:比に関しては、小学校では、割合の意味(「比べられる量」÷「元にする量」)でつまずく
「『すべての~』と『ある~』の用法」:すべてのxで成り立つ恒等式と、あるxでしかあてはまらない方程式の違いが中学レベルで理解できない→高校でより複雑になった方程式がさっぱり解けない→理工系の大学生が入学直後に学ぶ線形代数の1次独立、1次従属の違いなどの基本で壁にぶつかる
「説明文や問題文の意味の理解」 :国語力の不足から文章題の問題文が理解できず、そこから先に進めない
しかし、どうも分かりにくい。新聞記事がというより、数学における躓きというのは、それこそ数学的に順序立てて述べることができるという気がするからだ。隔靴掻痒である。
この記事の前身、つまり論文のかたちになる前の発表時の記事を引用したブログを偶然に見つけた。
このブログの主も同じことを感じたようで、自分で16分類をさらに4グループに分けて見せている。この努力は評価されるべきだろう。前身にあたる記事は、去年の11月30日付け中日新聞の文化欄だそうだ。
この記事には16が列挙されている。何か進んだのだろうか? この点も隔靴掻痒である。
とりあえず16の列挙を孫引き引用しておく。
①0で割れないなど、0と1についての特別な扱い。
②絶対値や微積分など記号の意味を誤解。
③2:3=4:6のように形は異なっていても数学的には同じものがあると分からない。
④数学的な「または」「かつ」「ならば」の用法と「矛盾」についての誤解。
⑤マイナスの数どうしの掛け算の結果はプラスになることが分からない。
⑦計算する前におおよその見当をつけることができない。
⑧国語力不足から、説明文や問題文の意味が理解できない。
⑨「足してから掛ける」と「掛けてから足す」の違いなど順番の概念が分からない。
⑩方程式で移項するとプラスがマイナスになるなど逆になるという概念が分からない。
⑪個数の概念など、具体例の認識不足のまま抽象概念を学んでしまう。
⑫公式を理解したり、式を変形する時に十分に吟味していない。
⑬割合の問題で、「割る数」「割られる数」がどれか分からない。
⑭5個と5センチなど、同じ数を異なった単位で示せることが理解できない。
⑮立体の切断図が想像できないなど、図形的な体験不足
⑯「限りなく近づく」など、直感的な説明が優勢で本当の理解が進まない。
この③と④が、読売新聞の最新記事にある「比に関する誤り」、 「『すべての~』と『ある~』の用法」に対応しているらしいのは分かる。⑧が「説明文や問題文の意味の理解」に対応するのは明らかだろう。
ということは、去年の記事、最新の記事とも「16」という分類の数が不動であるということは、要約言い換えがほどこされているだけという予感がする。発表内容を書き言葉でまとめたのが、上の学界誌に掲載されたということらしい(確認してみよう)。ということは、ほとんど何もまだ進展はないということか?
ブログ氏の分類の分類を引用させていただく(この分類には敬意を表するが、他の記事を拝見したところ同意しかねるものも多々あった。これも隔靴掻痒である)。敬意を表しはするが、どうも堂々巡りな感じがしないだろうか? このままでは。
「<A 「数学的な知識(計算ルール等)」が身についていない>
①0で割れないなど、0と1についての特別な扱い。
②絶対値や微積分など記号の意味を誤解。
⑫公式を理解したり、式を変形する時に十分に吟味していない。
⑤マイナスの数どうしの掛け算の結果はプラスになることが分からない。
⑨「足してから掛ける」と「掛けてから足す」の違いなど順番の概念が分からない
⑩方程式で移項するとプラスがマイナスになるなど逆になるという概念が分からない。
<B 数学的な法則が十分理解できない>
⑪個数の概念など、具体例の認識不足のまま抽象概念を学んでしまう。
⑭5個と5センチなど、同じ数を異なった単位で示せることが理解できない。
⑬割合の問題で、「割る数」「割られる数」がどれか分からない。
③2:3=4:6のように形は異なっていても数学的には同じものがあると分からない。
<C 言葉の理解が足りない>
⑧国語力不足から、説明文や問題文の意味が理解できない。
⑯「限りなく近づく」など、直感的な説明が優勢で本当の理解が進まない。
④数学的な「または」「かつ」「ならば」の用法と「矛盾」「についての誤解。
<B(ママ→Dの誤記だろう) 直感的な把握ができない>
⑦計算する前におおよその見当をつけることができない。
⑮立体の切断図が想像できないなど、図形的な体験不足
このように再分類することで
A・D:習熟練習を増やすことでクリアできるつまづき。
B :再度、概念規定の部分からやり直すことでクリアできるつまづき。
C :言葉の学習をきちんとすることでクリアできるつまづき。
というような対策も浮かんでくる。」
この提言には賛成である。但しなぜ、こうした躓きが起きやすいかについて、認知(心理)学的な検証を誰かが試みないことには、ループに陥るだろう。上記は→ブログ版:春日井教育サークル: 「共通する16のつまずき」http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2005/12/post_9e5d.html
で全文が読める。
一度すべてを自分の体験にもとづいてセルフオブザべーションしてみることにするが、
そうしなくても上の16に欠けているものは明らかだ。
「操作」、「約束ごと」である事柄に対して、「なぜそうなるのだろう?」という問いかけをしたにも関わらず、不明瞭な回答しかなかったことによるつまづきである。
つまりは、数学基礎論レベルの問いを、児童・生徒は投げかけることがある、ということへの視点の欠落である。 この点、学会誌では補足されているのかもしれない。されていなければ、芳沢教授と竹田先生の間にも、そう大きな隔たりはないことになる。
たとえば⑤は証明できる ことを、説明するのは、かなりかなり大変である。しかし、児童・生徒たちの分からなさ、躓きは、そこを察知しているからこそなのだと、一度考えてみることが必要ではないのか。