どうも、唄種です。


暑ぅーくなってきましたね。
私、30分弱歩いて会社に行くんですが、もう歩くの諦めました。大体15分短縮できるバスがあるので、朝の行き道は乗ることにしています。
運動量は減るけれど、汗だくで極寒の事務所に入るなんて、考えただけでも恐ろしい。
二年前はそれでも頑張りましたけどね。
もう無理。風邪ひくこと間違いありません。



さてさて。
若年性更年期が疑われるワタクシですが、
最近はというと、地面が揺れるような感覚に見舞われることが良くあります。
実際に地震で揺れてるわけではなく、私自身がちょっと目眩?みたいなものを起こしてるんだと思われます。最初は気持ち悪いなぁと思ってましたが、近頃はちょっと楽しい。
頭痛や吐き気を伴うと参ってしまいますが、脳みそがふわっと浮く感じは、ジェットコースターに乗ってて、体が浮いたような感覚になる時に似ています。
それが起こった後、その感覚を追いかけてみるんですが、一瞬で終わっちゃうんですよ。

人間の体って本当はいろんなことを感じてるんだろうと思うんです。でも、自覚出来ることってとても少ない。私の体の中で起こってる全ての事を感じ取ることができたら、きっと気が狂ってしまう気がする。

そういえば、よく、
『風邪ひいてるかもしれないけど、気付かない振りをする』
あえて鈍感を主張する人がいますね。

私はしんどかったらすぐに『しんどい!』と言って大騒ぎするクチです。そういう人、嫌いって人多いと思いますが。

しんどいものはしんどい!
何でもないふりする方が難しい!

と開き直ってしまえる、ある意味心の強い私なわけですが、根性論なんて言い方が悪いかも知らないけれど、『耐えることこそ美徳』だけれど、心の病気にならないような社会作り...というなんとも相反するような現象があちらこちらで起こっている。
いつの時代にも問題はあるけれど、今もまた難しい問題がごく身近にあります。

心の病気って言うけれど、自分が知らないうちにどんどん『生きる気力』を失ってしまう前に、自分の不調を感じてケアを試みるくらいには、自分の体は大事にして欲しいな。でも、『ちょっとくらいしんどいくらいで学校を休むな』とか、『他の子はちゃんとしてるのに』と本人の感じているものを全く感知できない親や周りの人間が、本人の感覚を飛び越えて一般論らしきものを抑えつけるから、その人の持っている感覚を鈍らせることになる。
確かに、社会で生きていくためにはモラルも必要。でも、自分を置き去りにして、『こうあるべき』を押し付けられるから、生きることについていけなくなるのではないかな。

自分を大事にするということは甘やかすことじゃなく、ちゃんと自分の体と心に耳を傾ける事だと思います。

ハリボテの根性論を植え付けられても、それは自分を救わない。体か心が壊れる事だってあります。
なかなか社会は自分を認めてはくれません。認めてくれる人は認められている人であって、そういう経験をしていない人は人を認めるということが出来ないんです。
一番手っ取り早いのは、自分で自分を認めて、自分の心と体と向き合いながら生きていくこと。そしたら自ずとほかの人も認められるはず。
私は正直、心のどこかで『私なんか』と思ってて、いつも誰かと比べているんですよね。
でも、そういう不毛な事はやめてもっと自由な心を持って、人や出来事を肯定的に捉えて生きていきたい。
そんなふうに思います。

最近頻繁に起こる脳みそのグラグラ揺れる感覚は、一瞬私を自由にします。その感覚を追いかけてる間は、私は私だけに集中している。
私の中で、何が起こってるかは知らないけれど、外に向いてる自分を内に向けることが出来る一瞬。

自分の体から教えられることってたくさんあるんだなぁと実感する毎日です。