昨今騒がれてますよね、
「親ガチャ」
ま、言いたくなる気持ちはわかります。
人生がうまくいってないときは、
環境を呪いたくもなるもんですよね。
他人と比べて、
その差を大きく大きく感じちゃてね・・・。
なんかいろいろ「ハズレ」を引いたと。
親ガチャもハズレ、
容姿ガチャもハズレ、
才能ガチャもハズレ、
生まれたところガチャも、
生まれた時代ガチャも、
ハズレハズレハズレと・・・
でも、そんなこと言い始めたら
キリがないでしょう?
ていうか、
それが事実で、
それが現実で、
「ハズレ」だからって何?
このまま「ハズレ」の人生を生き抜くつもりなら
グチグチ愚痴愚痴言ってるだけでいいけど、
もうちょっとマシな人生にしたいなら、
自分を変えていかなきゃいけないよね!
「ハズレ」にフィーチャーしないで、
「アタリ」のところを見つけてそこを伸ばそうとか
少なくとも「大ハズレ」じゃなかったことに感謝するとか
現状を打開してもっとよくなりたいなら、
とにかく自分が行動することで変えられるところを見つけて
もっと努力しろや!
過去にこだわってんじゃねえ!!
環境を言い訳にしてんじゃねえ!!
未来を切り開くべく、
一歩を踏み出せやああああ!
・・・って思ったりもしますけどもw
ま、「親ガチャ」はいいんです。
問題は「子ガチャ」ですよね・・・。
子供は親を選べませんが、
親も子供を選べません。
どんな子供が生まれてくるか・・・。
それがわからない!
そんなリスクは冒せない!
ていうかいろいろ怖すぎ!
怖くて子供なんて持てるかい!
親は子供を選べませんけども、
子供を作るか作らないかはコントロールできる・・・。
ゆえに、作らない!
ってずっと思っていた私ですよ。
で、前回の続きに戻るんですけど、
ま、いろいろ怖いけど・・・
やってみっかあ!
きっとなんとかなるさ!
ってちょっと前向きに思えるようになって、
さて子供をとなったわけなのですが・・・
励めども励めどもコウノトリは来ずw
毎月来るあんちくしょうが
普通に来やがるわけw
・・・あれ?と。
これ、不妊症ってやつじゃないの?と。
そんなこんなで
長くて険しい不妊治療が始まるわけです。
不妊治療のツラさとか苦しさは
ここではあまり言及しませんけど、
「一生子供ができないかもしれない」
という事実を突きつけられたときの気持ちは
近しい人が亡くなったレベルの
すんごく大きなものでした。
ま、子供なんて別に
そんなに欲しかったわけじゃないし、
子供がいなかったらいなかったで
いいじゃん!
・・・って思えそうなもんなのに、
もうホント、マジで、
私の人生、終わった・・・orz
ってくらいのショックでした。
やっぱね。
作れるけど作らない
というのと
作れない
というのは別次元の問題なんすよね。
「一生子供ができないかもしれない」
と知って、
さらに、不妊治療を続けているとですね、
心境はドンドン変化していくわけです。
ほんと
「子ガチャ」が恐怖だとかリスクだとか言う前に、
「子ガチャ」を引かせてもらえるってだけでも、
ものすごーーく幸せなことなんだなー。
ガチャの内容に一喜一憂できるなんてのは、
そもそもが贅沢な悩みだったんだなー
そう実感しました。
そう思い始めると、もう
子供(赤ちゃん)
=幸せのカタマリ
=神様からの贈り物
みたいなふうに思えてくるもんで、
ガチャがどうのこうのなんてオソレオオイ!
いただけるなら、ありがたくちょうだいしますーー。
すべてを受け入れて精進しますので
なんとかお授けくださいませー、ははー・・・
・・・って気持ちになっていったのです。
そしてそして、
私の場合は子供をなんとか授かることができたわけですが、
不妊治療って、ほんとあらゆるところにいくつもの関門が立ちはだかってる感じで、
質のいい卵胞が取れるかなーー
ちゃんと受精してくれるかなーー
ちゃんと卵割が進んでくれるかなーー
ちゃんとホルモン値が上がってくれるかなーー
ちゃんと着床してくれるかなーー
ちゃんと子宮内で育ってくれるかなーー
って、
ずーーっと祈り続け、
ずーーっと期待し続け、
そして毎度裏切られ続ける・・・
そんな感じなわけ。
だからほんと
いくつもの奇跡が重なって
数々の難関を乗り越えて
子供は産まれてくるんだなと。
不妊治療してると、
マジでそう実感するわけなのよ。
そんなわけだから、
もう実際に産まれたときは、
神の存在を感じずにはいられないというか、
すべてに感謝!って気持ちになるわけです。
こんなちっぽけな私に、
はっきり言ってウンコレベルというか
ウンコ以下かもしれない私に、
神が授けてくれた、というか、預けてくれた命・・・。
大切にいたしますーー
家宝にいたしますーー
一生懸命母親やらせていただきますーー
ははーーー・・・
って感じっすよ、ほんと。
そしてそして、不妊治療を抜きにして
母としての意識もですね、
妊娠中に刻々と変化していくわけです。
子供を持つことを考え始めた頃は、
活発な女の子だったらいいなー!
私の恋愛のノウハウをバッチリ伝授して、
あざとかわいいモテモテ女子にしてやろうww
・・・とか勝手に思ってましたけど、
そのうち、世間でよく言われる
五体満足であればかまわない!
って感じになっていきます。
やはり9か月も苦楽を共にしてますし、
もうすっかり愛おしくなってますから、
最後の最後は、
とにかく無事に生まれてきてちょうだい!
あなたに会えるなら
どんな苦労もいとわないから!
って思えるようになります。
どんな子供でも受け入れよう
というよりは
この子がいいんだ。
この子でなきゃダメなんだ。
この子に愛情を注いでいきたい!
ってなっていきます。
母は固く固く決意するのです。
出産前に愛を誓うのです。
おそらく、自動的に。
そうなるようになっている
そうとしか思えません。
そりゃあね、産まれたら産まれたで
ガチャ的にいうガッカリがないっていったらウソになります。
あー、男の子でしたか・・・
あー、一重まぶたでしたか・・・
あー、やっぱりアレルギーありましたか・・・
みたいなのは、
正直言ってありましたしねえ。
最初にわが子を見たときの感想は、
巨大な感謝の気持ちと
やっと会えたね!
ってポジティブな感じがそりゃあ多くを占めますけど、
わ、キタネーw
なんだ、あんまかわいくないなw
私の子なんだから、ま、こんなもんかw
みたいに思うこともありましたよ、ええ。
でもそんなの些細なことですよ、ええ。
わが子が一番かわいい!
・・・とは思いませんがw
わが子の愛おしさは別格です。
めちゃくちゃムカつくこともありますし、
死ぬほど怒っちゃうこともありますし、
子供とマジゲンカしちゃうこともありますけど、
わが子への愛は揺らぎません。
恋愛とはまた違う、
愛のカタチがそこにはあります。
それを実感できるというのは、
ものすごく価値のあることだと思います。
それからそれから、
また言いますけど、
こんなちっぽけな私が、
はっきり言ってウンコレベルというか
ウンコ以下かもしれない私が、
命のリレーに参加できたって実感ですよね・・・。
結婚したときにも感じましたけど
自分が多くの人からの愛情に支えられて存在していて、
愛情と愛情が織りなす布のようなものができてる感が、
子供を持ったことで3D化した感じ。
過去と未来って時間軸でも
愛情が織りなされているというか・・・。
先祖たちの愛情や頑張りで今の自分が存在していて、
子供を介してそれが未来につながっていく・・・
神をも巻き込んだイベントに
参加できてる幸せ・・・みたいなw
生物としての使命を果たした感というかね
なんというか
得体のしれない偉業を成し遂げた感もありましたw
母が強くなる理由もわかります。
ほんと出産ほど大変なことはないし、
出産ほど自分を捨てないといけないこともないし、
出産ほど神々しい経験もないと思うんで、
ほんとほんとすべてがそれ以下というか、
プライドとか恥らいとかなんて
どうでもよくなるというか・・・。
そら肝っ玉も座るわw
母が愛情を履き違えちゃう理由もわかります。
愛情が過剰過ぎたり、
一生懸命さが空回りしたり、
巨大なプレッシャーに動けなくなったり・・・
そんな暴走を防ぐためには、
周囲とつながってる必要が絶対ありますね。
子育てを母親任せにするのは
ほんと危険ですわ・・・。
・・・で、総括すると、ベタ中のベタな結びですけど、
案ずるより産むが易し
ですねw
ほんとね、半ば自動的に意識が変わっていくし、
子供を持つプロセスは、
ほんと何かに導かれてる感がすごくあるんですよね。
うまいこといくようにできてんなーって思います、ハイw
というわけで、いろいろ書いてきましたけど、
ここまで出産と子供に対してぶっちゃけた思いを書く人っていないと思うのでw
参考にしていただければーw。