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 1日、注目された東国原宮崎県知事の入閣が見送られた。


知事の入閣を検討したのか記者団に聞かれた麻生首相は「まったくなかった」と突き放してみせた。


自民党総裁になって国を変えると意気込む東国原知事だが、思い上がりにしか見えない。


知事の考え方は、かえって地方の力を低下させているのだが、もはや東国原氏にはそれが見えないらしい。


 古賀誠選対委員長から出馬要請を受けた時点での東国原知事は、「地方分権」を実現するために「自民党総裁」になるのだと断言した。


しかし、国政転身に前のめりになるにしたがい「国を変える」と言いはじめる。


昨日に至っては「僕が行けば自民党は負けない」と強気の発言。


「民主党では代表になれないが、自民党総裁なら可能性がある」との発言も報じられているが、それもマスコミが持ち上げすぎた結果でしかないだろう。


 そもそも「地方分権」の実現だけを掲げて総選挙が戦えるとは思えない。


経済、外交、安全保障、福祉、教育・・・山積する諸問題が「地方分権」の一語で片付くはずがない。


タレント性だけで座れるほど自民党総裁の座は安っぽいものなのだろうか。


 東国原知事の政治手腕は現実的には未知数であると言わざるを得ない。


汚職事件の後の知事選で、知名度だけを頼りに初当選。


「宮崎をどげんかせんといかん」という言葉が、宮崎県民の共感を呼んだことは事実である。


あまりの人気に、表立って批判することさえ憚られる状況になっていたことは、当選時と現在の県議会の態度を見ても明らかであろう。


しかし、間違いは間違いとして正さなければならない。


そうでなければ、知事の言葉とは逆に「地方」が軽く見られることにもなりかねない。


 知事は、「地方分権」のために「国政」へ転身するという。


つまりは国政の場、それも総理・総裁にならない限り「地方分権」を実現できないとしている。


それは明らかに間違いだろう。


全国の知事や国会議員が分権の推進を声高に叫び続ければ、国は動かざるを得なくなる。


知事と同じ思いを持つ同士を募り、政党を作ることも一つの道ではないか。


やり方はいくらでもある。


「地方分権」とは、自民党の総裁にならなければ実現できないものでは決してないのだ。


むしろ、地方が情報発信の力をつけ、国を動かす原動力になるくらいでなければことは成就しない。


 知事より国会議員のほうが上、国会議員になるのなら大臣か総理・総裁、というのは、逆に地方の否定になりはしないか。


ただの権力志向とも取られても仕方あるまい。


知事とはこの程度のものなのかと思わせた東国原氏の罪は重い。


と言わざるを得ない。


今回の一件が、思い上がったタレントの一人芝居だとすれば、マスコミもいささか騒ぎすぎではないだろうか。


【秋月】