戦前の「鉄腕」野口二郎 | メインウェーブ日記

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鉄腕といえば、「神様仏様稲尾様」の稲尾和久を思い浮かべる人も多いが、稲尾は「戦後の鉄腕」であり、「戦前の鉄腕」に野口二郎がいた・・・

 

野口二郎は、デビューの年(1939年)と2年目(1940年)に33勝をし、2年目(1940年)、3年目(1942年)と2年連続の史上唯一の防御率0点台(0.93、0.88)、5年目まで毎年350回以上投げ、4年目の1942年には、527回1/3を投げ、その中には延長28回を一人で投げ抜いた試合も、しかもその前日の試合ではもう少しでノーヒットノーランの快投・・・シーズン40勝をし、プロ野球記録タイ(1943年の藤本英雄と並ぶ)のシーズン19完封を記録した「鉄腕」・・・、

 

投手としては、前述のように、「鉄腕」で知られたが、打者でも投手をしながら、1946年に当時のプロ野球記録の31試合連続安打を記録・・・

この年はシーズンで13勝、100安打・・・

 

制球がよく、1948年にシーズン13無四球、1q950年に54回1/3連続無四球のいずれもプロ野球記録・・・

 

引退後は、コーチや二軍監督などを歴任・・・

 

1989年に野球殿堂入り(日本)・・・

 

2007年に死去、87歳没・・・

 

投手成績

12年、防御率1.96、237勝135敗

最優秀防御率2回、最多勝1回、奪三振王1回(当時表彰なし)

※甲子園の優勝投手で通算237勝は最多勝

 

打撃成績

13年、打率2割4分8厘、9本塁打、368打点