故宮⑥

中国三大九龍壁の一つ皇極門の向かい側にある九龍壁 

あとの二つは山西省大同と北京の北海公園にあります。9という数字は最大陽数で「九」と「久」は音がJiǔ と jiǔで調和します。永久の繁栄を意味し縁起がよいとされています。九龍は皇帝の象徴です。

この白龍は瑠璃瓦が落ちてしまい、急遽木材で直して罪に問われなかったそうです。直した職人は報酬をもらい逃げたそう。見つかっていたら大変だものね。皇帝しか使ってはいけない五爪の龍です。

こちらは北京故宮から香港故宮へ貸し出しされている皇帝の龍袍(りゅうほう)前に3つ、両肩に2つ、背面に3つの8つ龍の刺繍が施されています。最後の一つは皇帝自身!

こちらの黄色も皇帝専用色でした。五行の中央を現す土は黄色を意味します。

寧寿宮区の皇極殿

康熙帝が建て、乾隆帝時代に乾清宮を模倣して改造しました。嘉慶元年(1796年)譲位後、太上皇になった乾隆帝は「千叟宴」を開き、90歳以上の老人を招き5000人余りが集まりすべてが座れなかったそう。

ここで西太后の60歳の誕生日のお祝いも行いました。

「仁徳大隆」の扁額は西太后の書いた字

天井には豪華なデザインの藻井と龍

乾隆帝が譲位後に使う予定で建造したけど譲位後も養心殿に住みほとんど使わずでした。

このエリアは以前テレビで拝見し美しくて感動しました。全く古さを感じさせない…

陳列棚に台北故宮の美しい文物が並んでいたかもと、ついつい想像しながら…



養性殿

中国建築の最高峰と言われています。


畅音閣

ここは京劇の舞台です。西太后は大好きだったのですよね。


楽寿堂

乾隆帝が譲位後の寝室として建てましたが、譲位後も養心殿に住み使いませんでした。

絨毯から壁,天井に至るまで本当に見事な装飾です。

至る所に乾隆帝の書が使われています。


大禹治水图玉山

高さ224cm、幅96cm、座高60cm

禹の黄河の治水伝説を玉に掘らせた巨大な玉です。古代帝王「禹」の伝説的な治水事業を後世に残すため、「大禹治水図」が劣化していたので玉に治水の物語を刻ませたそうです。玉はまず乾隆帝の勅命で新疆ウイグルから運んだそうで5トンの重さ、北京までの道のり約1万km、3年がかりで冬の凍った道を馬と1000人近い人で運んだとされています。大きな玉材が北京に運ばれた後、宋代以前の「大禹治水図」を原稿として、大玉は乾隆46年(1781年)に北京より暖かい江蘇省揚州に送られて、6年かかり乾隆52年(1787年)玉山が彫られました。その後、寧寿宮楽寿堂に置かれています。それまで全部で約10年かかったと言われています。


ここまで贅沢な宮殿を作り、ほとんど使わなかった乾隆帝…ホテルにでもして欲しい…絶対無理だけど…
紫禁城の建造物を一日拝見し、台湾や香港の故宮文物たちの故郷と思うと感慨深いものがこみあげてきました。

続く…