留魂録④(小学生) | 牛見航(うしみわたる)山口県議会議員(防府市選挙区)オフィシャルブログ

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『地方から日本を元気に』
山口県議会議員の牛見です。どうぞ宜しくお願いします。

私が生まれ育った場所は自然が豊かで地域の2/3は森林であろう

防府市の中でも山間部にある、

地域としては「小野」旧小野村から学校などの名称のみが残っており地名などは実際にはない。

 

小野保育園→小野小学校→小野中学校

 

とエスカレート式に上がっていく田舎の地域である。

 

当時は一つの学年に男女合わせて約60名、小学校で360名
中学校で180名ほどの規模の学校である。

 

学校までは徒歩で5キロ以上かかる地区、

私の地域では小学3年生までは

近くまでバスが迎えに来てくれるので定時にそこに行って

バスに乗っていくという流れなのだが、一緒の登校班のお兄ちゃんがよく寝坊するのでそのバスに間に合わずに学校まで小学一年生ながら5キロ以上の道のりをよく歩いていた。

 

ちなみに祖母に聞くと幼少期はそんなことはなかったらしいのだが
小学校に上がってからは食べ物の好き嫌いが顕著に現れ、「野菜」という「野菜」はほぼ食べられなくなってしまった。

 

よって給食の時間なんてもう地獄である。

当時の学校ではまだ

「好き嫌いなんていけません、食べるまで立ち上がってはいけません」

という風潮が色濃く残っていたので

6年間を振り返っても
お昼休みに遊んだ記憶がほとんどない。

 

担任の先生の机の前に自分の机を置いて睨めっこするように給食を食べていたのを思いだす。

私も子供ながらに気合が入っていて、それでも絶対に食べることはなかった。

まさに先生との意地の張り合いである。

結局どこかのタイミングで先生が折れるわけだが

「もういいわよ」という先生の言葉をいつも待っていた。

そのあとは残してしまった給食を給食のおばさんのところに持って行って

 

「給食を残してしまってすみませんでした!ごちそうさまでした!」

 

と言うのが日課になっていた。

隣のクラスの「しょうくん」もその常連でいつも一緒に謝っていたので仲が良かった。

 

話は戻るが

その偏食のせいで小学3年生までは帰りもバスに乗れるのだが

授業が午前中しかないような日はその先生との意地の張り合いでバスの時間まで許してもらえず帰りのバスに乗ることも少なかった。

先生も私の偏食をどうにか無くそうと必死だったのだろうなと思う。

 

ということで毎日のように長い距離を歩くので足腰は強くなっていった。

 

ちなみにそのバスに乗る同級生は10人を超えるのだが、男子は私一人、子供ながらにその環境になかなか馴染めず思いかえすと少し辛い経験もした。

 

後でわかることだが「発達障害」ADHDによる影響もあった。

前日にしっかり準備していたはずなのにランドセルの中に教科書が入っていないなんてザラで、学校からのプリントなんてほとんど無事な状態で家族に渡せたこともなくて、宿題もまともに学校に持って行けてなかった。

本人的に思い出してもすごく真面目に取り組んでるつもりなのにできなくて

先生やおばあちゃんに注意されるのが辛かった。

宿題を忘れて、先生に家まで往復で10キロ歩いて取りに返されたこともあったが

今だったら問題になっていただろうな。

 

もう一点、思い出せるのは3年生くらいの時

ものすごい強迫観念に襲われて数分ごとに手を洗ったり、漢字の宿題を何時間もかけて綺麗に書き直すようなことがあった、おばあちゃんがどうしたの?それくらいいいじゃないって心配してくれたのを覚えてる。

僕も「そう思うけどちゃんとやらないといけないんだよ。」って泣いてたのを思い出した。

 

子供ながらに精神的に辛かった時期だったのかもしれない。


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『留魂録』(りゅうこんろく)とは、幕末長州藩の思想家である吉田松陰先生が、門弟のために著した遺書のこと。この遺書は松下村塾門下生のあいだでまわし読みされ、志士達の行動力の源泉となったものです。

 

 

◯牛見航(うしみわたる)

1982年1月30日生まれ(戌年のAB型)

山口県防府市出身

東京にてベンチャー企業に就職後、30歳を目前に帰省、政治家を志す。

 

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