子供の世界 | 渡辺やよいの楽園

渡辺やよいの楽園

小説家であり漫画家の渡辺やよい。
小説とエッセイを書き、レディコミを描き、母であり、妻であり、社長でもある大忙しの著者の日常を描いた身辺雑記をお楽しみください。

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 昨日は新宿で、作家の方々とお会いしていろいろお話。
お二人ともいい意味でディープで個性が強く、わたしってものを書いている人間にしては本当にふつーに平凡でつまらない女だなぁ、と、ちょっと落ち込む。まあ、本人自身が面白くなくてもいいのかもしれないけれど、アピール度低すぎかもなぁ…… などと。
 ポール牧氏の自殺を報道するスポーツ新聞の見出しをちらちら見ながら帰途につく。「鬱病と仕事が減った落ち込み」わが身にリアルに来る。
 
 帰宅すると、息子がまだ学童から帰っていない。 
心配しながら待つが遅い。学童に電話すると、 「もう帰ったはずですが……ひょっとして今日のお誕生会の件で帰りにくいのかな」などと言う、なんだろう?と、思うが聞き流してしまう。 
夕方の犬の散歩と買い物の時間が押してくるので、居間のドアに「かいものにいってきます」と張り紙して家を出る。途中で何度も家に電話すると、やっと息子が出て、ほっとするも声に元気がない感じ。しかし、夕方の忙しさにまぎれて、大急ぎで帰宅して夕飯の支度、娘を保育園から引き取り、子供たちに先に夕飯を食べさせて一息ついて、子供の連絡帳を見ると、やっと、学童の先生の言ったことが理解行く。 

息子が、学童のお誕生会をボイコットしているという。 
先月もやりたくないといい、今月もどうしても出ないといいはり、ひとり別室にいたという。 
なんだろう。ご飯を食べてごろごろしている息子に問いただす。 息子はぶすっとして、
「だっておもしろくないだもん、クイズとか考えるのもめんどくさい」などという。
「でも、お前以外のみんなはやりたがっているんだってよ、みんなが楽しんでいるのに水をさすみたいな態度はやはりよくない」と、言うと、
「ケーキとか食わせるんだもん、ケーキがいやだというとアロエヨーグルトを食えとかいって、おれ、きらいなんだよ!」 
ちょっと分かってきた。 
わたしは甘いものが大好きなお菓子フリークだが、そんなわたしに似ず、息子はお菓子が嫌いだ。ケーキも嫌いだ。自分の誕生日にもスポンジやクリームのあるケーキは食べない。唯一、アップルパイは食べるので、誕生日には私がアップルパイを焼く。しかし、基本的に普段は家にいくらお菓子が山積みになっていても手を出さない。ご飯はなんでもよく食べるのだが、お菓子は嗜好に合わないようだ。別にお菓子なんか食べなくてもかまわないので、うちではあえて食べろなどとは言わないが、学童ではそうはいかないらしい。
学童のおやつは市販の駄菓子系のお菓子で、しかもけっこうな量が出る。息子は早く帰宅するときはおやつを持ち帰るが、それを見ると、息子の嗜好には合わないお菓子ばかりで、そこらにほってある。実は私の嗜好にも合わないお菓子が多くて、私も食べないのだ。
  これが苦痛らしい。
子供はお菓子が大好き、などというのは嘘で、嫌いな子は嫌いなのだ。 
皆がうまいうまいと食べるので、息子は仕方なく食べていたらしい。 しかし、誕生会でケーキを強要されるのはつらいようだ。 
保育園ではおやつはすべて給食の人が作る軽食系で、パンだのおにぎりだのスープだのも出て、息子は喜んで食べていたのだが、小学校ではそうもいかない。
そういえば、同じ保育園出のお嬢さんで、「学童のおやつはおいしくない」と、学童をやめてしまった子がいたのを思い出す。 
その人をいい気分にさせるはずの嗜好品が、人によっては苦痛だ。 例えば、私はたばこが苦手で、たばこが大好きな人にそれを吸えと強要されるのはたまらない。そのかわり私は、コーヒーと、チョコレートが大好きだが、嫌いな人にそれを毎日食べろと強要するのは地獄だろう。 
楽しい時間のはずのおやつが、息子には苦痛なのだ。
  無理に食べなくてもいいと思うのだが、皆が喜んでいるところにひとり拒否するというのもつらいものがあるはずだ。 
来週、学童の先生と話しにいってみよう。
 
息子は保育園の頃から、そこで起こったことをほとんど話さない。保護者会などで聞くと、男の子を持ったお母さんはそういう子が多いという。一から十まで報告する子もいるらしいが、うちではそういえば娘もあまり保育園での話はしない。 
それはわたしもそうだった。わたしの場合は、母親が恐ろしくて口もききたくないという理由があったが、自分の世界のことは、根ほり葉ほり聞かれたくなんかなかった。 
自分の世界の話は、親にはしないものだ。
 だから、ほんとうに、一緒に暮らしていても、親が子供のことをすべて把握して理解するなんてできるはずもないのだ。いってくれないとわからないことも多い。日々の忙しさで、見逃してしまうことも多い。問題が起きてからやっと知る、という、ことばかりだ。 それが親の監督不行届き、と、言われることも多い。 
でも、自分のことを全て親に把握されていることが、子供にとってうれしいことだろうか?
 わたしの母は自信満々で今でも言う、
「子供の頃から育ててきたんだ、お前のことは全て分かっている」と。 歳を食ったわたしは、今はもう苦笑するしかないが、子供の時はこんなことを言われて、怒りと屈辱と嫌悪で胸が煮えくり返った。 
せめて、息子に言う。
「いやなことがあったら、お母さんに話してよ」と。
 でも、なかなか言わないものだろうなぁ。この先も、自分の胸のうちにおさめて、一人で抱える問題も多いだろう。 
わたしは言えない、言わない、 「お前のことをすべて分かっている」などと。 
でも、 「力になれることもあるから、吐き出せるときは吐き出して」と、思う。