談話室 『和太刀』 別室 -624ページ目

どちらが動きやすい?

稽古場には自転車通勤の前堂君は、稽古場に着くと必ずといっていいくらい軽く腹拵えをします。

この日もおにぎりをほおばっておりました。
寒くなってきましたので、自転車に乗り寒風の中 到着したら身体を暖めるという目的もわからないではありませんね。
私も軽く何かを食べることがないとは言えませんが、あまり稽古前に胃に何か入れると思考が鈍るタイプです。


それよりは少し身体を動かした方が、稽古スタート後もそのまま入っていくような感じで、食べてしまうと休みたくなってしまうみたいな(笑)。
まあ、そういうのも人それぞれタイプにより、どちらが調子がいいかは違うみたいですね。


皆さんはどちらのタイプですか?
清水

三つ巴や四つ巴など…。

通常稽古にて行う立ち廻りは、大概誰かを芯にして、残った人がそれに絡むという、割りとよく見るものに仕上げることが多いのですが、時には「三つ巴」や「四つ巴」などの複雑な関係性のものにもトライします。





例えば「 A   VS   B」の対決しているところに、唐突に入ってきたBとC は、AとB
双方にとっても「敵」であるとか。

これにより、手に合わせてその時その時でリアクションが様々に変化しますので、いつもとは違った風景のものが展開されるので、やる方も見る方もいつもとは違う発見があったり、又見た目にも中々面白い展開が生まれます。
「芝居中の、各台詞や所作に対してのリアクションの稽古」としてもかなり有効になると思われます。

殺陣を稽古されている皆様にはオススメメニューです。

ただし、振り付けをして、それをどうにか実行した時点では、まだ大切なものは何もないという状態に近いですから、そこからやり取りや、それに付随するリアクションを深めてみるというところまで出来ればやっていただきたいと思います。

清水

それをどうすればという質問。

私(清水)は今のところ「殺陣師」なる仕事をさせていただいていますから、その作品やキャラクターに見あった動きや、そのストーリーの中でどのようなバランスでどんな殺陣シーンや所作事があれば有効なのかを考えて振り付けをさせていただいている訳ですが、
何も鋳型にはめ込んだがごとくに振りを渡したいわけではありません。



逆にいえば、どんなに振り付けを振り付けとして誠実にやっていただいても、所詮はただの忠実な体操では、そこになくてはならない表現という大切なものは、まずほとんどゼロといっても過言ではありません。


カウントにはめ込んだだけのものや、ただの早業的なもの、芝居でもただやみくもに叫んでいるだけの(もはや何に対しての叫びなのかがわからない状態のもの)には興味もないし、役者さんにそんなものだけはやってほしくない。


なくてはならない、そこで生まれるべき関係性やそれを通してのメッセージとは、台本で言うところの文字が書いていない行間にこそ骨子があるのです。

ですから「ここってこうすればいいですか?」みたいな質問に対してはおおよその答えは持ってはいますが、「これではないとしたら他にどうなると思いますか?」と質問を質問で返すしかなくなる訳です。
所作事や振り付けはあくまでも表現するための、手段にしか過ぎません。

清水