最もプライベートな出来ごとだが、弟が他界した。
2日、3日と、見送る儀式。
実際には、当方の理事総会と重なる日だったが、事情あって儀式は、きのう、きょうになり、私としては、両方に列席できてよかった。
2才ちがいの下のきょうだいだから、よく遊び、よくけんかした。
こどもの頃は、私の行くところについて来たがって、それをどうあきらめさせるか、その年令投じのありったけの知恵を絞った。
沢へせりをとりに行く時などは絶対にじゃまだから、「こわいきつね」の話とか、「おそろしいかっぱ」の話なんかをしておどかして置いてきたり。
きつねもかっぱも見たことなかったけれど、自分の頭の中でふくらませたそれが、自分でも怖くなって、逃げ帰ってきたりした。
おとなになってからの一番は、伊勢佐木町5丁目の交差点の向こうとこっちで、大声でどなり合いの大げんか。
私はもう結婚していたのだけれど、なんにも変わらない、おたがい短気ものだった。
周囲の人のことなど、ぜんぜん気にしなかった。
母を送る時も泣かなかったから、今回も泣くことはないだろうと予測していた。
それでも、まさか彼が私より先に逝くとは思っていなかった。
性格が似ているところも、短気以外に、けっこうあって、中でも自分を酷使してしまうところ。
体質も似ているかも、と思っていて、2人とも血管の病気で死ぬかな?なんて思っていた。
自分で建てた巨大無線アンテナや、数々の場面の写真も、さびしいというよりも、なつかしい思いで見た。
特に、以前峠工房で作った、アマチュア無線の交信カードがあったので、ああ、まだこれを使っていたのかと、うれしかった。
奥さんの「私が頼りないと思ったからか、ベッドからいろんなものを注文してあって、支払いまですませてあった」との話には、やさしい1!心底うらやましいーー!!
それなのに、最後の別れのときに、身体の芯から大きな何かがガバーッとこみ上げてきて、つき上げられて、うろたえた。
私は、今までより少しだけ、自分のことを気をつけるよ、と心の中でつぶやいた。