2~3日前にユーシ君が来た。「大量のコピーをとらなきゃならないので、コピーさせてください」と。 2年振りぐらいかな。 今回は、5月にパキスタンの山へ(5000メートル超級)登るので、その資料のコピーを仲間分。そういえば、前に来たときも山の資料だった。ヒマラヤ。 お母さんとは、少なくとも週に1回は顔を合わせる生協仲間だから、折に触れいろいろ聞いているので、あまり久しぶりという感じもない。いつ会っても変わらぬ風情で「あの頃のまんま、おとなになっちゃったよネー。」が、私のいつもの感想。 「男30歳にして、ようやく心から信頼できる親分にめぐりあえて、ボクは幸運です。」なんて寒いセリフを妙に淡々と言うのだ。5年生の時からのつきあいだから、もう20年にもなるのか・・・・・・。 いつも峠工房の行事に参加していたのだが、初めて旧登山訓練所に泊まったとき、「アノー、自由時間って何をすればいいんですか。」と聞きにきた。はじめて鍋割山へ皆を連れて行ったとき、ランプの手入れをする山荘主人、草野さんを見ていて、「そっかー、コンセントがないからこうゆうもの使うんだァ。」と心から関心していた。「じゃァ、今度ダイクマで特売のコンセントいっぱい買ってきて、ここの柱全部につけるから、ユーシ君、電気持ってきてくれるかな?」と言われて、ようやく、コトの本質がわかったような顔をしたものだ。 その彼が山登りにのめりこんで、数々の心配を両親や私たちにかけてきて、今度は「めぐりあえた親分や信頼できる仲間」とパキスタンの山だと言う。人生、何がどうなるかわからないものだ。 命にだけは責任を持ってほしいと願う。