忘れん坊のメモ帳24

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昨日、世田谷の絵画、造形教室の父母会に招かれて、話をさせてもらった。この教室は、最近流行している(らしい)、やたらと子どもを幼稚扱いして、ベタベタほめちぎるくせに、基本的なことはなおざりにするような所とは違っている。人間として子どもと向き合い、しっかりした理念のもとに情操教育をしており、だからこそ私のような者を招いてくださったわけである。そこは「アトリエ虹」という。 アトリエの先生は、父母のかたがたに大変大変立派な紹介文を配ってくださって、それを読んだわが家族ドモは、「え?いったい誰のこと?」「すごいエライ人らしいじゃん」「これじゃ眼鏡に鎖つけていかなきゃネー」とうるさい。鎖の件は、我が家のマイブームで、出どころはフジテレビの夕方のワイドニュースで、2回にわけて放映した、発達障害児たちのための、ある学校の「密着」取材もの。「ガラス細工の子どもたち」のタイトルが、まずムカついたが、とりあえず見た。もともとはフリースペースで長年やって来て、昨年突然学校になった所で、小泉改革の悪ノリかも? そこの校長先生へのインタビュー。「わたしのやりかたが気に入らない人はやめてもらっていいんです」と、ちょっと首をななめにした下目使いの眼鏡の鎖がキラキラゆれて、すてきなお洋服姿だった。 「あれだよ、あれ。やっぱり眼鏡には光る鎖。きたない作業服姿はダメ。だから誰にも尊敬されないし、カリスマにもなれないんだ」と大笑いになった。その学校に関する。さまざまな良くない、というか、マズイんじゃないの?これという情報を得ていたものだから、しかも実際に体験したナマ情報も聞いていたのでなおのこと何かにつけては笑いのタネにしてしまった。 今ここで、その学校を否定するつもりは全くないし、現実にそこしか受け入れてもらえない子もいるし、そこ育ちであるが故に、この世間で生きられなくなった者もいるわけだから、存在しなければならないだろう。でも私は、何かを履き違えているような、うわっつらをなでたような人間愛モドキをとても危険だと感じる。又、人材をきちんと確保できずに、「学校」となり、わけのわからんカリキュラムで、大上段に振りかぶられるのも受けとめ難いことである。 追伸・・・100均で鎖を買ってつけてみたけれど、私には邪魔だった。やはり素質に欠けるようだ。
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ネムの花が咲いた。私の自慢のひとつ。 先週木曜、版画教室の日に、ひょっとして今日あたり咲くんじゃないかと、さっちゃん先生を送る前に目をこらしたが花は見あたらなかった。見せたかったのに残念! なのに、翌日夕方、フワーっとたくさんの花が咲いた。 いやみなヤツというか、タイミングの悪いヤツだ。 今月の版画には、2ヶ月続けて休んだ、YOちゃん、SAYちゃん兄弟も来た。中学生になってから、「ちゃん」付けでは呼ばないようにしようと気をつけているのに、しかも、YO1は私の背丈なんか、はるかに追いぬいて、今や上背のあるお母さんと同じくらいなのに、ついついちゃん付けで呼んでしまう。よくないよナー、私。 2ケ月続けて休んだにもかかわらず、YO1の絵のいきおいが変わった。あいかわらず顔なのだが、今までとちがう。あきらかに進歩している。 あいかわらず言葉は出ないし、うれしくなると、はねたり、奇声を発したりなのだが、「うるさいよ。静かにやって」と言うと、口に指をあててシー。「オマエだよ、オ、マ、エ」に、皆がドっと笑うと、自分もうれしそうに笑う。 終わって、さっちゃん先生と話したのだが、版画の技術が向上した、というよりも、彼の人間全体が成長したのだと思う。どこがどう、というのは、たった月1回しか会わないからわからないが、彼の内面で何かが伸びているのだろう。そういえば、修学旅行のおみやげに、生八つ橋を買って来てくれたし……。 おいしかったよ。特に抹茶あんのがね。
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先週、ホトトギスの鳴き声を聞いた。いずみ野駅からの帰り道、幼稚園のそばの五叉路で信号待ちをしていた時、園の方向から。ゾクッとうれしくなったが、「いや、待てよ。ここらへんにはもう大森林もないし、もしかしたら幼稚園で野鳥の声でも流しているのかも?」と帰り着いた。いたらうれしいけど、そんなはずないよなー、と思いつつ。仕事場の戸をあけたら、背後、西の方から、またしてもそれは聞こえたのだ。今度こそまちがいない、本物!!境川のむこう、あの、うっそうとしたあたりなら、渡りに疲れたヤツが木に休んでいてもおかしくない。 最近は、野鳥も種類が少なくなって、以前普通に聞かれた、ホオジロの「チョットチチウエチチウエ」というさえずりも聞けなくなって久しいし、あの特徴のある鳴き声のコジュケイのすみ家もなくなった。 30年以上前の、まだここが野中の一軒家状態だった頃のある朝、カッコウの声を聞いた。一体どこで?・・・なんで?びっくりして窓をあけたら、となりの空き地の高い木にいた。私は大急ぎで実家に電話をかけ、受話器を外に突き出して、母にカッコウの声を聞かせた。 カッコウにくらべると、ホトトギスの鳴き声は単調で、同じリズムで同じことをくり返している感が強い。以前、日がな一日「ドコノカアチャン」を、一定リズムで単調にくり返している生徒がいた。友人と、小田原の大雄山から箱根方面へ向ける山道を歩いていた時に、くり返されるホトトギスの声と、その生徒が重なって、笑いが止まらなくなり、友人をあきれさせたことがある。あれは実におかしかった。 環境の変化を単純に嘆くつもりはないし、自然が失われた分よくなっていることもたくさんある。ここへ住みついた当時の川は、段差のある場所に洗剤のあわがたまって風が吹くと舞い上がっていたし、何よりもカルチャーショックを受けたのは、川にゴロンと豚の死体がころがっていた時だ。しかも、それに驚かない周囲の人々に二重のショックを受けたものだ。 今は、水もきれいになったし、なんと言っても、あの!カワセミがいる。水辺の宝石が矢のように飛ぶ姿は美しい。それに体長1.5Mはあるヘビの夫婦も石垣の水抜き穴に住んでいる。去年、そのんけがら、まるまる完全版をゲットして、100均で買った専用の入れ物に納めてある。自然が残されているということは、人間に都合の良いことばかりではないのは当然で、でっかいムカデもいれば、スズメバチもうろうろするから、バランスはとれているのかもしれない。でもみんな、気をつけようネー。
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忘れん坊のメモ帳21

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かぜをひいてしまった。その上、もう2週間もせきがとまらない。いつも気づくのが遅くて「なんかヘンだな」と感じているうちに、大変なことになるのだが、最近は少し学習して、のっぴきならない事態に突入することは、少なくなっている。今回は4月の終わり近くから、追い立てられるようなことが続いて、ウヒャーと突っ走ってるうちに、こうなってしまった。 期限を切られている仕事があって、しっかり期限に間にあわせて、「私ってエライじゃん」なんてことをくり返して来たら、体力のほうがちょっと怒ったみたい。寝込むほどではないが、咳が出るし、ちょっとけだるいし、ただでさえナマケモノなのに、意欲がわかなくて困っている。 ンで、今日は仕事をサボって、K1つれてWさんと鎌倉まで、さっちゃん先生の版画展を観に行って来た。本日最終日、ごった返していた。先生、お疲れさんです。