藝高の生徒さんたちが素晴らしい演奏を聴かせてくれています

 

 

「さくらのうた」(福田洋介作曲)は2012年度全日本吹奏楽コンクールの課題曲に選ばれた作品です。第22回朝日作曲賞を受賞した名曲でもあり、コンクールが終わった今でも多くの団体で愛され演奏され続けています。

 

特筆すべきは、オリジナルのフル編成版発表後もさまざまな編曲がなされていて、オーケストラ版が登場した他、小編成のアンサンブル、デュエット、ソロ、さらには歌詞を付けた歌まで次々に登場し続けていることです。

 

発表当時、私は市民吹奏楽団でフルートを担当していましたが、ある日今年のコンクールの課題曲をどれにするか決めようということになって、この「さくらのうた」も演奏してみたことがありました。譜面が配られて初見で通したのですが、演奏中に気持ちが曲の中にぐんぐん引き込まれていくのを感じて驚いたのを覚えています。

 

団のみんなも同じように感じていたようで、曲も終わりとなって最後の音を伸ばしているとき、指揮者の棒が下りるのも待たずあちこちから「泣いちゃうよ、これ」「泣きそうになっちゃった」という団員の声が聞こえてきます。それでも冷静でいなければならない指揮者さんからは「テンポ遅れてるよーッ! のめり込んじゃだめーッ!!」と注意が飛んできたのでした。

 

この曲について作曲者の福田洋介氏は楽曲解説を書いていらっしゃいますので一部を引用させていただきます。

「サクラを愛でながら思いを馳せるその心が、人によってまったく違うのと同じように、音楽のしなやかな変化を信じて、自分達だけの「さくらのうた」を演じていただけたら嬉しいです。たくさんのサクラが美しく咲き誇り、美しく舞い散りますように。」(福田洋介氏「2011年12月の全日本吹奏楽連盟会報「すいそうがく」No.188 」より)
 
静かに始まる美しいメロディーは流れるように進みやがてドラマチックに展開していきます。あたかも・・・朝、まだうす暗い中でひっそりと花びらが開き始め、次第に明るくなった陽の光の中で花びらが次々と開いてゆき、一気に満開の時を迎えます。時に雨に打たれ、風に揺れつつ、それにも耐えて咲き続けていたかと思うまもなく、ある日突然音もなく散り始めた花びらはやがて風の流れに乗って散り広がって大地に戻ってゆく・・・そんな桜そのものの生を描いているかのように思えます。

 

福田洋介氏の「サクラを愛でながら思いを馳せるその心」ということばからいろいろなことが連想させられますが、たとえば、さくらの花を見ている人のいろんな人生のステージとそれにまつわる想いを映し出しているのではないかとも思えてきます。いわば桜の生に人の生き様を重ね合わせてしまうということで、聴く側でも、演奏する側になってもいつのまにか音楽の流れに自分自身を重ねているのが不思議です。


 

福田氏のブログ「さくらのうたが出来るまで」によると「さくらのうた」は氏が15年間構想をあたためてきた楽曲だったとのこと。2011年2月、ほぼ完成が見えたとき東日本大震災が起きて音楽そのものを見直すことになったのだそうです。そこで音楽で何が出来るのかを問い直した氏は「静かに寄り添うパワーを確信し」「そうか、「うた」が必要だ」との確信を得てようやく「さくらのうた」の完成にたどりついたのだとのこと。それらが「さくらのうた」の重要なモチーフとなったことがわかります。

 

美しい「うた」が私たちのさまざまな心模様に静かに寄り添ってくれていて、いつのまにか自分たちの想いが映し出されていると感じる理由がここにあったようです。

 


この動画の演奏は20年度藝高3年生の皆さんが卒業制作として合奏の記録を残そうと企画したものなのだそうです。メンバーの専攻楽器に合わせた編曲を作曲者の福田氏にお願いしたとのことですが、フル編成版とは別の魅力的な演奏が引き出されているように思います。メンバーの皆さんの一人一人の思いが表現出来るような編曲をなさったのではないかと私は想像しています。

 

その福田氏の思いに応えるかのように、コロナ下で合奏が思うようにできなかったにもかかわらず生徒さんたちは見事な演奏を聴かせてくれていて、そのひたむきな想いがこちらに伝わってくるようです。「自分達だけの「さくらのうた」を演じていただけたら」という福田洋介氏の言葉もふと思い起こされます。とりわけ53小節目(3分48秒)の休止符とその後のトゥッティは熱い想いが一斉に花開くようできわめて感動的です。



桜の季節はとっくに終わっていますが「さくらのうた」は相変わらず頭の中に鳴り響いています。いろんなことを思い出しているうちにかの有名な句を思い出しました。

   さまざまの 事思ひ出す さくらかな    

 

                                                          松尾芭蕉

古来、桜の花を愛でてきた日本人の心の底には桜の花がいつもあって、数多くの“さくらのうた”が創り出され歌われてきました。長い年月を経て桜の花が咲くたびにその姿に人生のドラマとそれにまつわるさまざまな想いを見て心を動かされてきたことでしょう。

 

「さくらのうた」はそうした日本文化の伝統の延長線上にあって、その流れるような美しい旋律と叙情的な物語性によって私たち一人ひとりのさまざまな生き様に寄り添い、さまざまな想いを受けとめてくれているのだと思います。

 

「さくらのうた」が今でも多くの人に様々な形で演奏され続けている理由はここにあって、それゆえにこれからも永くながく愛され演奏され続けていくのではないかと私は考えています。

 

 

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