今朝、朝課にて正信偈を詠んだところ磬子(けいす)の音色が微妙に違う。
「気温かな?湿度かな?」
なんて考えながら雑念のうちに浄土和讃へとうつる正行、二行にいたってますます音の高さに声が合わない、
「あれれ?」
これは調整してもらわないと駄目かな?と思っていた矢先に仏間から離れていた妻が
「声が変わったんじゃない?前より声が低い気がする」
とのこと。
なんだ、頭も耳も悪くなったものだ、久々謳はないうちに自身の喉が加齢で変わってきてしまったんだな。
懇意の仏具屋に聞いたら
「磬子は内側を削り音色を低くすることもできるよ」
という、そこまで価値のある鐘(安物です)ではないし、出だし調声で何度か試し鐘にあわすのか?
在家の素人はこの辺が限界だわね、こんなときプロ僧侶はどうしてんだろ?