11.魏晋南北朝時代 | ワセモン高校のブログ

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 三国時代(220280

  華北で一大勢力となった曹操は、南征の際に208年、赤壁の戦いで劉備&孫権連合軍に敗れた。その後はそれぞれが三つ巴の戦いを展開する三国時代に

魏(華北)都:洛陽 初代皇帝:曹丕

土地制度…屯田制荒れ地を耕作させて税収を確保したり、軍隊に開墾させて食料自給するなどした。)

官吏任用制…九品中正(中正官を派遣し、九等級に評価して中央に役人として推薦する。)

(四川)都:成都 初代皇帝:劉備

関羽、張飛、諸葛孔明が活躍

234年、諸葛孔明、五丈原で死す

魏に滅ぼされる

(江南)都:建業 初代皇帝:孫権

西晋に滅ぼされる

 晋

●西晋265316

司馬炎が魏でクーデターを起こし、建国。280年、呉を滅ぼし統一

都:洛陽

占田課田法(古調式)を実施(土地制度)…地位や経済状況に応じた土地所有

の上限を定め、かつ強制的に農民に耕作させ税収の安定をはかる

八王の乱290306)…後継者をめぐる王族の反乱→五胡の侵入を招く

            (それぞれが北方の遊牧民を傭兵として利用した)

            304年 匈奴の劉淵、山西で挙兵し漢を建国(前趙となる)

永嘉の乱311316)…八王の乱で弱体化した隙に南匈奴の侵入で西晋は滅亡

           華北は五胡の侵入で混乱に陥った

       →西晋の一族は、南下し、江南地方に逃れた

●東晋317420

司馬睿が華北の混乱から逃れて建国→江南の開発が進展するきっかけに

都:建康

383年 華北で勢いのあった前秦を淝水(ひすい)の戦いで破る)

 五胡十六国時代304439 北魏の太武帝が華北を統一するまで

五胡…北方系の匈奴 羯(けつ) 鮮卑(せんぴ)

    チベット系の氐(てい)…符健(ふけん)が一時的に華北を統一

前秦を建てて、東晋と争った

 羌(きょう)

 華北で興亡した16国を五胡十六国と総称 そのうち3国は漢民族だった

 南北朝時代(5世紀後半~589

北魏386534)…鮮卑の拓跋氏が建国

太武帝…華北を統一(439)

寇謙之(こうけんし)の意見を取り入れて道教を保護し、

仏教を弾圧した。唐代まで繰り返され三武一宗の法難という 

孝文帝…・均田制を実施

     ※ポイント 妻・耕牛・奴婢(ぬひ)にも給田

三長制(隣・里・党からならう村落制度。

戸籍を整理、徴税の確実化、治安維持図る)

平城から洛陽へ遷都、胡服や胡語禁止(漢化政策)

538年北魏は内紛によって東西に分裂

   西魏は宇文泰(うぶんだい)が府兵制を確立

…均田制によって管理した農民を徴兵する制度

   東魏は北西に、西魏は北周にかわる→577年北周が統一。廃仏を行う。

 南朝 

  420年 東晋の武将 劉裕  が実権を握り建国。

   →  →   と漢民族の王朝が続く。(呉、東晋と合わせて六朝という)

都はいずれも 建康 (現南京)

※貴族の勢力が強く皇帝権力は弱かった。長江流域の開発が進み生産力発展し、人口も増えた。東晋および南朝では土断法を施行。= 華北からの移住民をその地で戸籍に登録する。南朝の貴族は、荘園を経営、自給自足的な田園生活を行うものも現れた。  

・南北朝の統一 589年 北朝の北周に代わったが南朝の陳を滅ぼし、中国の統一を復活させた。

3世紀の三国時代からの約400年間を、魏晋南北朝と総称する。

南北朝の興亡

304439       

五胡十六国時代 北魏→東魏→北斉↓

          →西魏→北周→581

317

東晋     →420宋→斉→梁→陳↑ 589

 魏晋南北朝時代の社会・文化

変化

官吏登用制度が漢の郷挙里選から三国時代の魏の九品中正に変わる。

…地方の州郡毎の役人である中正官が、人物を九等級にわけて中央政府に推薦する、人材本意の登用法。「上品に寒門なく、下品に勢族なし」

 → 地方豪族が中央政府に進出し、政治権力を握り門閥貴族を形成

文学 詩…謝霊運(宋) 田園生活を謳う。

陶潜(とうせん)陶淵明とも。東晋『帰去来辞』

   文章…昭明太子(しょうめいたいし『文選』四六駢儷体の流行

歴史 陳寿(西晋)『三国志』

絵画 顧愷之(こがいし)(東晋:「女史箴図」)

書 王羲之(おうぎし)(東晋:「蘭亭序」)

実用 賈思勰(かしきょう)『斉民要術』(農業書)

酈道元(れきどうげん)『水経注』(地理書)

宗教

仏教 後漢の1世紀ごろ大乗仏教が西域を通じ、中国に伝えられる。→4世紀後半 中国の動乱、政治的不安定のなかで、社会一般に広がる。

外来僧 仏図澄(ぶっとちょう)鳩摩羅什(くまらじゅう

中国僧 法顕(ほっけん)が陸海路でグプタ朝『仏国記』

石窟寺院 雲崗(平城郊外)ガンダーラ・グプタ様式の影響が強い

敦煌(西域の東端) 竜門(洛陽郊外)

道教5世紀、民間信仰と神仙思想を諸子百家の老荘思想(道家)に取り入れて信仰体系を作る。

寇謙之(北魏)が新天師道を組織し大成 太武帝が国教化

思想

儒学は不振で、老荘思想が広まり清談(厭世的な談義)が流行した

竹林の七賢(阮籍・嵆康(けいこう)が有名

・動乱期にあたり多様な思想や文化が生まれ、儒教に代わり仏教と道教が盛んになった。  

貴族社会が形成され、自由で自主的な思想(竹林の七賢など)が生まれた。       

特に江南では漢文化が継承され、文学や絵画で貴族を主体とした六朝文化が栄えた。