1 前漢(前202~後8)
■ 劉邦(高祖)が、項羽を垓下の戦いで破り、建国
・都…長安
・軍国制を実施
…(中央直轄地では郡県制、地方では封建制を併用した)
・匈奴の冒頓単于(ぼくとつぜんう)に、白登山の戦いで敗北
■ 景帝
呉楚七国の乱(前154)
…諸侯の領土削減に対して起こった反乱。この乱の鎮圧後、実質的に中央集権の郡県制となる
■武帝(前141~前87)
《内政》
・董仲舒の提言で、儒学を官学とし、五経博士を設置
・郷挙里選…地方長官の推薦で官吏を中央に推薦した
《外征》
・匈奴政策を和親策から積極策に転換し、北方に勢力を拡大。衛青、霍去病(かくきょへい)将軍を派遣
→匈奴は前60年ころ東西に分裂、西匈奴は後に滅び、東匈奴は後1cに南北に分裂(南は後漢に服属 北は、鮮卑に圧迫され移動4cにフン人となってヨーロッパに侵入→ゲルマン人の大移動の原因となる?)
・張騫を大月氏(中央アジアでバクトリアを倒して建国する)に派遣
→匈奴の挟撃を狙うが、同盟は失敗
・李広利を汗血馬を得るために大苑(フェルガナ)へ派遣
《対外政策の結果 周辺地域の支配》
・西域に敦煌など4郡を設置
・南方のヴェトナム北部(南越)を支配し、日南などの9郡を設置
・朝鮮半島(衛氏朝鮮)を征服し、楽浪郡など4郡を設置(帯方郡は3世紀設置だよ)
《財政再建》度重なる外征で財政が悪化
・塩・鉄・酒の専売
・均輸法…各地の特産物を税として納めさせ、不足地に転売する
・平準法…余剰物資を買い取り、物価が高騰したら売り出した
・五銖銭を鋳造
《社会の変化》
・豪族の中央政界進出と、中央集権体制の弱体化
・豪族の力を抑えるために、限田法を実施するが、あまり効果なし
・外戚や宦官の横暴→政治腐敗
2 新(8~23)
前漢の外戚の王莽が漢の皇帝を廃して建国
周代を理想とした政治を行ったが反発を招き、18年に赤眉の乱が勃発
短命に終わった。
3 後漢(25~220)
都:洛陽
建国者:劉秀(光武帝)
国家の実態は豪族の連合政権(皇帝の中央集権体制は弱い)
・57年 倭の使い来貢『後漢書「東夷伝」』に記録がある
金印「漢委奴国王」を授けたとされる
40-43年 徴(チュン)姉妹の反乱…ベトナム
和帝
《西域経営》
班超を西域都護に任命
(兄の班固は、歴史書の『漢書』を編纂している)
部下の甘英を大秦国=ローマへ派遣するが、シリアで引き返す
蔡倫が製紙法を確立(改良)した
《その他》166年 大秦王安敦(マルクス=アウレリウス=アントニヌス帝)の使者が入貢
《衰退の原因》
党錮の禁…宦官が横暴化し儒教を奉じる官僚(党人)を弾圧
黄巾の乱(184)…太平道の張角が指導の農民反乱
→後漢は弱体化
(同時期、張陵が組織した五斗米道といわれる結社も反乱を起こした)
その後、豪族たちが群雄割拠し、後漢は220年に滅亡
江南地方では孫堅をはじめとして孫家が力を握り、華北では曹操が権力を確立していく→これに劉備を加えて三国時代となる
4 漢代の文化
儒学 前漢 董仲舒…武帝に建言して儒学を官学化
後漢 馬融と鄭玄…訓詁学(五経を整理・解釈する学問)の確立
歴史学 前漢 司馬遷…『史記』神話時代~武帝時代までの歴史(紀伝体)
後漢 班固…『漢書』前漢時代の歴史(紀伝体)
製紙法 後漢 蔡倫…製紙法の改良 木簡、竹簡に代わり使用される
文字 前漢 隷書が使用される(文字補足…金文(殷代から青銅器に刻んだ文字))
小篆…秦代に統一
字書 後漢 許慎…『説問解字』
紀伝体…年代別の記録+人物の伝記を合わせて記録する編纂スタイル