親のご恩のありがたく、深いことを書いてまいりました。

  親は、常に、生涯、我が子のことを案じてくださいます。

  最後に、感動的なお話を紹介して、親の大恩についてのお話を終了いたします。


                                           kao  face*照  ふふ

 

  「親思う心にまさる親心・・・」。

   松陰は処刑される一週間前にこの歌を詠み、

   母は、松陰の死刑の時刻に、息子の夢を見た。


                   ○ 吉田松陰の母

 

                        「親のこころ」木村耕一編著より


   親思う 心にまさる親心

         今日のおとずれ何ときくらん

                        (吉田松陰)

  

  幕末の思想家、吉田松陰が、

     二十九歳で処刑される一週間前に詠んだ歌である。


  信念を貫いた本人に、悔いはないかもしれない。

     しかし、

  息子の死を聞いたら、親は、どう思うだろうか。

  子供は親のことを忘れて突っ走るが、

  親は、常に子供を案じてくださっている。

  松陰の胸にも、込み上げてくるものがあったのだろう。


  松陰は、長州藩士の貧しい家に生まれた(現在の山口県)。

                      ※吉田松陰(1830-1859)

  二十二歳の時、十年間諸国遊歴の許しを受けて旅に出る。

  著名な人物を訪ね、勉学に励むためである。

  この時、母は息子に多額の旅費を渡した。

  驚いたのは松陰である。

  そんな余裕がわが家にあるはずがない。

  息子の万一の時の備えにと、貧乏の中から両親が、少しずつ

  節約してためていたものであった。

  松陰は、感極まって泣かずにおれなかった。

  この親心で実現した遊学が、松陰の人生と日本の歴史に

                     重大な影響を与えるのである。


  松陰が江戸に滞在中、

    ペリーがアメリカの軍艦を率いて浦賀に入り、開国を迫った。

     黒船来航である。

  「今や、世界情勢を学ぶことが急務」と考えた松陰は、大胆にも

  小舟で軍艦へ近づき、アメリカへ密航を頼んだ。

  しかし、交渉は失敗。幕府に捕らえられ、長州へ送られた。

  長い牢獄生活が始まるのである。


  両親は、牢獄へ、温かい着物や食べ物を差し入れ続けた。

  退屈しないようにと、書物や筆、紙に至るまで届けるという

                      大変な心遣いであった。

  また牢獄は湿気が多く不衛生なので、衣類は、すぐシラミがわく。

  母はよく洗濯に訪れ、わびしい生活を慰め、

                     息子の健康に気を配ったという。

  松陰は、牢獄に入っている人たちを次々と感化したと伝えられて

  いるが、その陰には、両親の涙ぐましい支えがあったのである。


                                  つづく スマイル6