社会全体が、既に飽和状態

 

そもそも現代社会は権利の主張自体が『行き過ぎ』なのであって、あまりにも何もかもが『平等・多様性』や『差別・偏見』だのばかりが重要視されすぎて、それによって今まで何ともなかった個人の発言が、今ではすぐに『失言・暴言』だとか『パワハラ・セクハラ』とかになって問題視されてしまうし、それを今度はテレビやSNSなどで大々的に何度も何度も繰り返して報じたり、発信した者への批判や誹謗中傷コメントが延々と大量に殺到したりする現代の歪んだ社会。

 

何でもすぐに『論争になってしまう』ということ自体が理解に苦しむ

 

あまりにも人々の生活の中でSNSが蔓延りすぎていて、誰も彼もがどこにでもシャシャッて来ることが容易になって、タレントなどの有名人が発信したSNSに、自ら『直接参加して自由にモノが言える状態』が、勝手に尽く間違った使われ方をしていて、およそ『常識的な判断』が出来なくなってしまっている人間が激増していて、結局『自由をはき違えて、もはや“傍若無人”な状況になっている。』ということを自覚していない人間が増えすぎて収拾がつかなくなっている、という現状なのだと思う。

 

我も我もと『言わなきゃ損』という風潮

 

まるで火に集まる蛾などの夜行性の昆虫の群れのように、その放たれた光の魅力に導かれて嬉々として『炎上』に群がる匿名の民衆の『意図的な集団暴行』の様相を呈した誹謗中傷や批判のコメントの嵐。

 

そもそも『コメントなんぞ受け付けなければ済む』ハナシ

 

炎上どころか、だいたい端から『赤の他人の意見』を聞きたくてブログやTwitterに投稿するワケでも無いのだろうに、自分の思いや楽しみや意見を広く世間に発信しようと書いた内容に、イチイチ『通りすがりの何処の馬の骨とも知れない“有象無象の衆目”』に見咎められて意地の悪いコメントを書かせるために投稿したハズもないのに、何故にそんな『見も知らないマヌケな他人の馬鹿な意見』を気にしなければならないのかが、一向に理解に苦しむ。

 

自由と身勝手を はき違えているから

 

他人が言った言葉にイチイチ難癖着けて、それで自分の普段の『憂さを晴らすだけの目的で、他人の言動のSNSの揚げ足を取り、まるで重箱の隅をつつくかのように、誹謗中傷だとか批判のコメントを投稿して、それで悦に入るという、とても進化した種族のやることではない』惨めで低俗で貧弱なマの抜けた人類という哀れすぎる生物の醜態であるとしかいいようがない。

 

こんなんじゃ、どう見たって

『原始的で低俗な未開の文明』だ

としか考えられない。