東京都心部にクモの巣の如く広がる、首都高速道路。
モータリゼーションの普及・発達に伴い道路整備を総合的に計画・実施によって 「日本の政治・経済・文化等の中心としてふさわしい首都圏の建設とその秩序ある発展を図る」ことを目的として1956(昭和31)年に制定されたのが、『首都圏整備法』。
これに基づき、慢性的な交通渋滞を緩和すべく現在東京都心部をクモの巣のように走る首都高速道路を建設・管理・整備するために、今から65年前の今日・1959(昭和35)年6月17日に設立されたのが、
首都高速道路公団
でした。 2005年に民営化された、現在の首都高速道路株式会社の前身ですネ。
1964年の東京五輪開催を睨んで建設工事は急ピッチで進み、首都高速初の開通は1962年12月20日の都心環状線・京橋~1号羽田線・芝浦間。
緑部分が開通区間 開通時の京橋料金所
その後、建設は急ピッチで進められたものの、立つ並ぶビルの谷間や河川を縫うようにして走る高速道路の建設は、大変な作業だったようです。
1962年頃の工事現場 (左:環状線・日本橋 右*2号線・宝町)
東京五輪が開催された1964年の開通状況は、こんな感じ。
羽田と都心、それに国立競技場付近だけの開通に留まっているのが分かります。
一番内側の都心環状線が開通したのは、1967年7月。
3号渋谷線が東名高速と接続したのが、その4年後の1971年12月で、4号新宿線が中央自動車道と接続したのが1976年5月。
私が就職して銀座営業所に配属され、無料のKK線・西銀座→京橋間を数え切れないほど利用した1981年にはこんな開通状況。
※KK線に関する1週間前の記事は、こちら。(↓)
1日の交通量が100万台を突破したのが、ちょうどバブル景気が始まった1986年。
確かにこれ以降、首都高の渋滞は慢性的だった記憶があります。
そして現在普及しているETCの導入が始まった2001年時点の開通状況は・・・。
そして放射状に延びる高速道路を結ぶ環状線が徐々に接続された現在の状況は、こちら。
年代毎に見比べると、着実に路線が拡充されていることがよく分かりますょネ。
おかげで、バブル期に比べ現在は大幅に渋滞は緩和された・・・というのが、よく利用している私の実感。
実際走っていても、箱崎ジャンクションなんてよくもまぁこんな複雑怪奇かつ立体的な道路が建設できたものだ、と感心してしまいます。
また料金面では、1962年開通時に普通車50円均一だったものが、1963年には倍額の100円に。
その翌年には150円、1970年には200円、その後数年おきに50~100円ずつ値上がりして1994年には700円に。
これには、短距離利用者から大きな不満の声が上がりましたが、それは当然のことでしょうネ。
ただ現在ではETC利用者に関しては距離に応じて料金が変わるため、その不満も多少は和らぎましたが・・・。
さて現在も交通・輸送の大動脈である首都高ですが、建設してから半世紀近く経過する路線が徐々に増えてきて、その補修や再工事問題が深刻な課題となっています。
一部では日本橋付近を再工事で地下化するという計画も出ていますが、その建設費用は莫大な金額になるはず。
ただでさえ高いと思われている料金が更に引き上げられるようなことのないようにしていただきたいもの。
もう建設・管理は民営会社が行っているんですから、無茶なことはできませんし・・・。😰
それでは最後に、「首都高速は走ったことがない」という方に都心の夜景共々ドライブ映像をお楽しみいただきたくし・・・。