就 航 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

大東亜戦争終結後、日本はGHQから軍用・民間を問わず航空機の運用を禁止されました。

しかし朝鮮戦争勃発等の事情によりそれが解除され、民間定期航路として初めて日本航空が東京~大阪に旅客機を就航させたのが、今からちょうど70年前の今日でした。

日本航空株式会社が資本金1億円で設立されたのは、これより3ヶ月弱前の1951(昭和26)年8月1日。

本社は銀座8丁目の旧・銀座日航ホテル(現在の
ホテル・ザ・セレスティン銀座)の場所に設けられました。

    

同月20日には、スチュワーデス1期生も入社。

また機体については、アメリカ・マーティン社(現・ロッキード・マーティン社)から〝マーティン2-0-2型〟5機を確保。

それぞれにきん星・もく星・すい星・ど星・か星と太陽系の惑星名を付け、点検飛行・宣伝用の体験飛行を経て、1951(昭和26)年10月25日にもく星号が羽田空港から伊丹空港(そこから更に福岡空港)に向かって飛び立ったのです。

※翌日には東京~札幌便が就航。

    

        大勢の見送りを受けて羽田から飛び立つもく星号

 

しかしこの当時の日本航空は営業面だけを日本側が担当し、運航についてはノースウェスト航空が行っていた(機体も同社からのリース)ため、パイロットも同社所属のアメリカ人でした。

でも機内サービスは日本人スチュワーデスが行い、機内食として箱入りのサンドイッチと(昭和世代にはお馴染みの)バヤリースオレンジジュースが供されたとか。

当初から往復割引や家族割引が設定されたそうですが、運賃は東京~大阪が6,000円、東京~福岡が11,520円、東京~札幌で10,200円。

今なら激安料金ですが、当時は大卒初任給が約7,000円の時代。

現代の大卒初任給が約20万円とすると、東京~大阪は約17万円!

一般庶民には、まさに高嶺の花・・・新婚旅行でも利用できない程高額でした。

 

故に利用客は大会社の社長などの富裕層や芸能人などに限られたため利用率は低く、日本航空は赤字に悩んだとか。

それともうひとつの問題点は、機体の安全性。

日航がリースしていたマーティン2-0-2型機は、1948年にアメリカで空中分解事故を起こし、1950~51年にかけてノースウェスト航空所有の同型機が4機相次いで事故を起こしていました。

そのため同型機は僅か31機しか製造されませんでしたが、内全損事故を起こしたのが何と13機!

隣国の航空会社も真っ青の高確率ですが、よくまぁこんな危ない飛行機をリース契約したもの。

案の定、初就航から半年後の1952年4月9日、もく星号が伊豆大島に墜落し乗員・乗客37名全員が死亡するという事故を起こしてしまいます。

その翌年から日本航空が自主運行を開始すると同時に、同型機は同社から姿を消しましたが、当然のことだと言えましょう。

それにしても、もく星号墜落事故からリース契約解消までの約1年間・・・同型機に乗った利用客の勇気に、私は敬服します。

 

 

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