JSB  | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

音楽室の、おそらく一番左端に貼られていたこの肖像画を、皆さんもご記憶だと思います。

       

これが誰かは言わずもがなですが、今日はこのクラシック音楽界の大御所にして、〝音楽の父〟と呼ばれる


 ヨハン・セバスティアン・バッハ
       Johann Sebastian Bach

の命日・没後270周年に当たります。

 

バッハは1685年、ドイツのテューリンゲン州アイゼナハでルター派音楽家ヨハン・アンブロジウス・バッハの8人兄弟の末っ子として生まれました。

9歳で母を、更に10歳で父を亡くすという不幸に見舞われながらも、1703年にヴァイマルの宮廷楽団に就職。

そして同年にアルンシュタットの新教会に新しいオルガンが設置されると、その試奏者に選ばれた彼は優れた演奏を披露し、そのままその教会のオルガニストに採用されました。

以降バッハはオルガニストとして、また宮廷楽長を務めるなどする傍ら、1750年7月28日に眼科手術の後遺症や投薬治療による体力低下により65歳でこの世を去るまで、(オペラ以外の)様々なジャンルに膨大な作曲を行いました。

その数は、2007年に完成した 『新バッハ全集』 103巻にまとめられただけで、何と1,100曲。

しかも未だ整理中だそうですから、更にその数は増えるはず。

 

また病死した前妻マリアとの間に7人、後妻で音楽家だったアンナとの間に13人、合計20人もの子宝に恵まれたバッハ・・・あちらの方もかなり精力的だったようで。

300年程前の作品にも拘わらず、彼の紡ぎ出した旋律は今なお新鮮さを失うことなく、ジャズやポップスに至るまで様々な分野の音楽に転用されています。


とは言え私は40歳になるまで、正直バッハの音楽をじっくり聴きたいとは思いませんでした。 

それは、なんとなく曲想が単調で退屈(?)に感じたから。

 

ところが40歳を過ぎてから、俄然バッハの音楽が体に沁み入るようになったのです。

 

平均律クラヴィーアやパルティータはG・グールド、無伴奏チェロはP・カザルス、チェンバロはコープマン等々・・・。



また所有しているアルヒーフ社・バロック音楽全集の多くが彼の作品。


    


特に〝バッハの権威〟といわれるカール・リヒターの演奏には、心を揺さぶられます。


       左から 『マタイ受難曲』・『ヨハネ受難曲』・『カンタータ集』

 

あまりに膨大な作品数ゆえに、同じ曲をアーティストによって聴き比べることはあまり出来ていませんが、ひとつの演奏を聴き続けている中で得られる印象が、加齢と共に変わるような気がするのは何故なんでしょう?

 

楽譜を見ても、当時の鍵盤楽器は現代ほど性能が良くないのに、どうしてあんなに複雑かつ難易度の高い作品を生み出せたのか不思議。

 

底知れぬ奥深さ・・・50歳を過ぎてから、バッハが〝音楽の父〟と言われる所以が(ちょっとだけ)分かったような気がしています。

大バッハの命日ですから、今日は彼の冥福を祈りつつ是非彼の作品をじっくり聴いてみてください。

BGMとしてでも結構ですから・・・。

 




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