温 故 | ナベちゃんの徒然草
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ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

今日は、我が愛読誌・月刊『致知』4月号から、同誌の表紙を飾った茶道裏千家・第15代家元を務められた千 玄室 氏の特別講話より、その一部を抜粋・編集にてご紹介致します。

           ◆     ◆     ◆     ◆ 

日本の茶の間には、昔はちゃぶ台が置いてありました。

その小さなちゃぶ台を囲んで家族皆が肩を寄せ合って食事やお茶をいただく。

そうしながらいろいろな話に花を咲かせる。
そこに日本の家という一つの情の雰囲気が生まれました。

お父さんは忙しく働き、その間、お母さんが一所懸命に子供たちの面倒を見る。

お櫃(ひつ)からご飯をよそってくれるお母さんに子供たちは感謝の言葉を伝える。

兄弟喧嘩をしながらも、少ないご飯を分け合っていただく。

その共存共栄の中で、日本独自の情が育まれていったわけです。

    

ところが戦後、残念ながらその情はすっかり薄れてしまいました。

妙な民主主義が蔓延(はびこ)り、「自分だけは、自分だけは」という世の中になりました。

もちろん生きる上で「我」や「自分」というものは大切です。
しかし人間が生まれ育って、今ここにいることは自分一人の力ではありません。

まずは父・母、そして血を分けた兄弟たちのおかげです。

そして学校に行くと、足りないところを助け合う仲間がいる。

日本人は少なくとも戦前はそういう共存共栄の道を歩み、それが当然だと思って生きてきました。

しかし、今はそれがみられなくなりました。

親が子を殺す、子が親を殺す、他と関わり合うのが面倒くさい、自分だけが生きていけたらいい。

そんな思想が世界中に蔓延(はびこ)っています。

美味しいものを食べて好きなことをやってさえいたら人間は幸せになる、という考え方は間違っています。

釈尊の教えに、〝一切皆苦(かいく)〟という教えがあります。

人間は生まれた時から死ぬまで全てが苦しみだというのです。

いいものを食べたり、遊んだりすることが幸せだと思っている人がいますが、そんな幸せは一瞬に過ぎない。

私たちの人生は、いつ何時どんなことが起きるか分かりません。

東日本大震災の苦しみから立ち上がるべく、沢山の人たちが今でも頑張っておられます。

私も現地に行きまして被災者の方とお目にかかってお話をさせていただいたり、お茶を差し上げたりしました。 

あるお婆さんにお茶を差し上げた時、

「あぁ、このお茶がいただけてよかったな。 
私はお茶のことは知らんけど、この点(た)ててもろうたお茶が、どんなに心を癒してくれたことか」

としみじみ、そう仰いました。 それを伺った時に、私は

「たった一椀のお茶でも、こんなに役に立つのだな。 ありがたいな。 もっともっと多くの方にこの一椀のお茶を飲んでいただいて、皆さんが少しでも苦しみや悲しみから逃れられようにしなければならない。」

と自分に言い聞かせたものです。

大切なのは、苦しみの多い人生であったとしても、そういう思いやりの気持ちを失わないで、他の人に対して手を差し伸べていくことではないかと思うのです。

自分の手を使って他の人のために少しでも何かをして差し上げる。

その喜びが自分に返ってくる。

その時に人生の本当の幸せを感じられるのではないでしょうか。

「ありがたいな、もったいないな」

という気持ちを一人でも二人でも三人でも多くの人が持っていただけたら、平和という言葉を使わなくても本当に落ち着いた世の中になっていくのではないでしょうか。


           ◆     ◆     ◆     ◆ 

大東亜戦争時には特攻隊に所属し、仲間に頼まれて茶を振る舞い、それを飲んで飛び立っていた彼等を見送る体験をしたという玄室氏は、1923(大正12)年生まれ。

97歳とご高齢ながらも、多くの聴衆の前に背筋を伸ばして立ち、講演をこなされるという玄室氏の言葉に、私たちは真摯に耳を傾けるべきでしょう。

〝温故知新〟という言葉がありますが、現代日本人は特に温故が必要なのかも・・・。


 

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