奇 襲 | ナベちゃんの徒然草
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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

〝人間五十年 下(化)天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり
                          一度生を享け 滅せぬもののあるべきか〟

 

今からちょうど460年前の今日、信長はこの 『敦盛』 を一舞いてか

、やおら馬に跨り先陣を切って

桶狭間の合戦

 

に向かった・・・と言われていますが、果たして本当だったのでしょう

か?

 

                          

                 織田信長像 長興寺・蔵

 

1560(永禄3)年5月19日、豪雨の中で行われたというこの合戦については、

 

『総勢2万5千の今川義元軍が、上洛の道すがら尾張を通過。

 

これを兵力僅か3千の織田信長が篭城を勧める家臣の意見を振り切り、先陣を切って出陣し熱田神宮で必勝祈願。

 

折からの豪雨に足止めされていた今川軍の位置情報を予め入手していた信長は、いきなり本陣を急襲。

 

慌てふためいた今川軍は混乱・敗走。 今川義元は首を取られ、これにより織田信長の勇名が天下に轟いた。』

 

・・・とまぁ、こんな感じで私は学校の授業で教えられたりしましたが、このストーリーは主として元家臣・太田牛一が著した 『信長公記』 等が基になっています

 

       

             『現代語訳 信長公記』 (新人物文庫・刊)                    

 

しかし、そもそも太田牛一がこの合戦に参戦していたかどうかは不明なのだそうで、史実を検証するとこの合戦伝説にはいくつもの疑問・矛盾点がある模様。

 

ざっと挙げてみますと・・・。

 

◆桶狭間(田楽狭間)の場所については諸説があり、現在でも特定されていない。

 

◆今川軍が本当に京都を目指していたのか?

兵力も実際に桶狭間にいた本体は1万前後だった?

 

◆信長が出陣前に 『敦盛』 を舞ったり、熱田神宮で(予め部下に命じて)白鷺を飛ばしたと伝えられているが、当時信長にそのような余裕があったのか?

 

◆豪雨の中を今川軍本体に密かに近づき、奇襲をかけたとする通説は現在否定され、正面から攻撃を仕掛けたとする信長公記説が有力とされる。

 

◆今川義元の首を取った毛利新助ではなく、今川軍の位置を正確に知らせた簗田政綱に勲功第一等を与えた・・・という逸話があるが、確認されていない。

 

等々。 その他の資料を総合すると、この合戦は

 

【尾張領を制圧せんと侵略してきた今川軍に、織田軍は兵力で圧倒的に劣っていながらも敵方先鋒隊に正面攻撃を仕掛けたつもりが、実はそれが本隊であった。

 

しかし、たまたまそのタイミングが良かったこともあり、まさかいきなり正面攻撃をかけてくるとは思っていなかった今川軍が混乱・敗走、あっさり大将の首を取られた。】

 

・・・という事になるようです。

 

       

                 今川義元像 臨済寺・蔵

 

これじゃあ、何だか単なるラッキーパンチ一発でチャンピオンを倒した無名ボクサーみたいな味気ないお話になっちゃいますネ。

 

でも史実って伝えられるほどドラマチックなものでなく、結構こんな感じの泥臭いものなのかも。 さて貴方は、

 

「それじゃあ夢がなくて、つまんない。 信長は『敦盛』を舞ってカッコ良く出陣したんだ!」 っていうロマン派

 

それとも、「そんなこと、実際できるワケないだろ!」 って、あくまで真実を追求するリアリストあせあせ

 

 

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