借金苦 | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

皆さんが通った学校の音楽室に、バッハやベートーヴェン・モーツァルトらと並んで、こんな肖像画が壁に並んでいませんでしたか?

きっと見覚えがある方が多いと思いますが・・・今日は、この〝アメリカ音楽の父〟といわれた


 
スティーブン・コリンズ・フォスター

 Stephen Collins Foster

 

の命日にあたります。

 

        

 

フォスターは1826年にペンシルベニア州のルイスヴィルで、比較的裕福な家庭の10人兄弟の末っ子として生まれました。

趣味でヴァイオリンを弾く父親と、詩情豊かで教養のある母親の間に生まれた彼は幼少期から音楽の才能を見せ、7歳から横笛、9歳からギターを独学で弾き始め、15歳の時にはアゼンス・アカデミーの卒業式で自作の円舞曲を自らフルートで演奏したとか。

そして作曲に関心を示した彼は、殆ど独学でベートーヴェンやモーツァルトなどの作品を研究し、20歳前に数曲の歌曲を出版。

 

1845年にピッツバーグが大火に見舞われたため、翌年オハイオ州シンシナティに転居した彼は、兄が経営する蒸気船海運会社の簿記係として働くように。

オハイオ川を蒸気船がひっきりなしに行き来する中、南部の黒人音楽や荷役作業員の労働歌を耳にしていた彼がその頃作曲したのが有名な 『おおスザンナ』。

この歌は1848~49年にかけて巻き起こったカリフォルニアのゴールド・ラッシュの賛歌となり、多くの人に親しまれました。

その後ペンシルベニアに戻った彼は、1850年にビッツバーグの名医の長女ジェーンと結婚し、翌年に長女マリオンをもうけると、『ケッタッキーの我が家』・『故郷の人々』 などの名作を次々発表。

1853年にはニューヨークに出てファース・ボンド社と契約を結び、翌年には『金髪のジェニー』を作曲。

一見順風満帆に見えた彼の人生は、しかしその後暗転します。

1855年に両親、そして翌年に兄を失ったことで精神的・経済的に打撃を受けた彼は、借金を背負うことに。

ファースト・ボンド社との先払い契約で金銭を受け取るものの、困窮生活は続き、1860年に 『オールド・ブラック・ジョー』 を発表した翌年には全曲の版権を売却し、出版社との契約も切れたことでますます窮地に。

当時はまだ作曲家という職業は確立しておらず、言ってみれば彼が作曲家としてのプロ第1号。

版権その他システムが確立しておらず、またレコードもない時代ですから、十分な報酬を受けられなかったことが悲劇の元凶でした。

前述の『おおスザンナ』は
発表から3年間で16もの出版社が30種以上の楽譜を出版。

当時最高販売部数がせいぜい5,000部という時代に10万部の大ヒットだったにも関わらず、フォスターの収入は僅か100ドルに過ぎなかったそうですから、これではとても食べて行けません。


更に南北戦争による不景気が更なるダメージになったと言えますが、生活が行き詰ったことで妻子にも去られた彼は、酒におぼれるように。

そして1864年1月10日、マンハッタンのホテル滞在中に洗面台のそばで頭部・頸部から大量に出血していたところを作詞家ジョージ・クーパーに発見された彼は、3日後の13日に出血多量により37歳の若さで天に召されました。

 

数日前から発熱していた彼は、意識朦朧状態でベッドから起き出し、洗面所で転倒し洗面台に頭を打ったと推測されましたが、その時所持金は僅か38セントだったとか。

しかし白人でありながら積極的に黒人音楽を採り入れた彼が〝アメリカ音楽の父〟と称賛されるのは当然でしょう。

       

           1940年に発行された、1セント切手

溢れる才能を、時代背景によって十分に発揮できなかった彼の冥福を、その懐かしき作品を聴きながら祈りたいと存じます。笑3

 

 

 

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