余 暇 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

私のような文系の方でも、その具体的な内容は知らずとも〝フェルマーの最終定理〟という言葉に聞き覚えのある方は多いと思います。

今日は、この多くの数学者が長年にわたって証明しようと試みた定理の生みの親だった、


 ピエール・ド・フェルマー

Pierre de Fermat

 

の命日・没後355周年にあたります。

 

           

 

フェルマーは1607年に南フランスのボーモン=ド=ロマーニュという小さな農村に生まれました。

父親が彼の生後すぐに地元で起きた一揆により亡くなったため、フェルマーは母親が女手ひとつで育てました。

その母・マリーは法律家の家計の出だったこともあり、フェルマーに熱心に教育を施したおかげで、彼は弁護士として活躍したとか。

「えっ、フェルマーって数学者じゃないの?」

と驚かれた方も多いでしょう。 そう、彼の本業はあくまで弁護士であり、数学はあくまで趣味というか余暇に行っていたのです。

 

彼が数論(数、特に整数及びそれから派生する数の体系の性質について研究する数学の一分野に傾倒するようになったのは、1630年頃に古代ギリシャの数学者ディオファントスの著書『算術』の注釈本を入手し熟読してから。

そしてパスカルと共同で確率論の基礎を作り、デカルトと文通を交わしながら、独自の解析幾何学を創案するなど、プロの数学者を凌ぐ実績を残しました。

そして前述の『算術』の余白に48もの注釈を書き込んでいたのですが、フェルマーが1665年1月12日に57歳で亡くなった後に彼の長男・サミュエルがそれを発見。

その書き込みを付けたまま『算術』を再出版したことで、注釈が世に知られることに。

 

そして48の書き込みのうち47の命題は後世の数学者達によって証明または反証が与えられたのですが、、最後のひとつ・・・2番目の書き込み、すなわち〝フェルマーの最終定理〟については長年にわたって解かれぬままでした。

それを1995年・・・フェルマーの没後330年後、証明に成功したのがイギリスの数学者アンデリュー・ワイルズでした。

※フェルマーの最終定理&ワイルズに関する過去記事はちら。(↓)

 


それにしても、世界各国の数学者が束になっても証明するのに300年以上もかかる定理を、余暇にサラッと余白に書き込んだフェルマーの頭脳って、どういう構造だったんでしょう。

私のような凡人には想像もできません。

もしかしたら、宇宙人だったのかも? あせあせ

 

 

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